相に。」と声が掠《かす》れる。
「あの……私が、自分から、言います事は出来ません、お恥《はずか》しいのでございますが、舞の真似《まね》が少しばかり立てますの、それもただ一ツだけ。」
と云う顔を俯向《うつむ》いて、恥かしそうにまた手を支《つ》く。
「舞えるかえ、舞えるのかえ。」
と女中は嬉しそうな声をして、
「おお、踊や言うで明かんのじゃ。舞えるのなら立っておくれ。このお座敷、遠慮は入《い》らん。待ちなはれ、地が要ろう。これ喜野、あすこの広間へ行ってな、内の千がそう言うたて、誰でも弾けるのを借りて来やよ。」
とぽんとしていた小女の喜野が立とうとする、と、名告《なの》ったお千が、打傾いて、優しく口許をちょいと曲げて傾いて、
「待って、待って、」
十七
「いつもと違う。……一度軍隊へ行きなさると、日曜でのうては出られぬ、……お国のためやで、馴《な》れぬ苦労もしなさんす。新兵さんの送別会や。女衆が大勢居ても、一人抜けてもお座敷が寂しくなるもの。
可いわ、旅の恥は掻棄てを反対《あべこべ》なが、一泊りのお客さんの前、私が三味線を掻廻そう。お三重さん、立つのは何? 有るものか、無いものか言うも行過ぎた……有るものとて無いけれど、どうにか間に合わせたいものではある。」
「あら、姉さん。」
と、三味線取りに立とうとした、お千の膝を、袖で圧《おさ》えて、ちとはなじろんだ、お三重の愛嬌《あいきょう》。
「糸に合うなら踊ります。あのな、私のはな、お能の舞の真似なんです。」と、言いも果てず、お千の膝に顔を隠して、小父者《おじご》と捻平に背向《そがい》になった初々しさ。包ましやかな姿ながら、身を揉《も》む姿の着崩れして、袖を離れて畳に長い、襦袢の袖は媚《なまめ》かしい。
「何、その舞を舞うのかい。」と弥次郎兵衛は一言云う。
捻平膝の本をばったり伏せて、
「さて、飲もう。手酌でよし。ここで舞なぞは願い下げじゃ。せめてお題目の太鼓にさっしゃい。ふあはははは、」となぜか皺枯《しわが》れた高笑い、この時ばかり天井に哄《どっ》と響いた。
「捻平さん、捻さん。」
「おお。」
と不性《ぶしょう》げにやっと応《こた》える。
「何も道中の話の種じゃ、ちょっと見物をしようと思うね。」
「まず、ご免じゃ。」
「さらば、其許《そのもと》は目を瞑《ねむ》るだ。」
「ええ、縁起の悪い事を言
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