よ、……構うものか。それ向う三軒の屋根越に、雪坊主のような山の影が覗《のぞ》いてら。」
と門を振向き、あ、と叫んで、
「来た、来た、来た、来やあがった、来やあがった、按摩々々、按摩。」
と呼吸《いき》も吐《つ》かず、続けざまに急込《せきこ》んだ、自分の声に、町の中に、ぬい、と立って、杖を脚許《あしもと》へ斜交《はすっか》いに突張《つッぱ》りながら、目を白く仰向《あおむ》いて、月に小鼻を照らされた流しの按摩が、呼ばれたものと心得て、そのまま凍附《いてつ》くように立留まったのも、門附はよく分らぬ状《さま》で、
「影か、影か、阿媽《おっかあ》、ほんとの按摩か、影法師か。」
と激しく聞く。
「ほんとなら、どうおしる。貴下《あんた》、そんなに按摩さんが恋しいかな。」
「恋しいよ! ああ、」
と呼吸《いき》を吐《つ》いて、見直して、眉を顰《ひそ》めながら、声高《こわだか》に笑った。
「ははははは、按摩にこがれてこの体《てい》さ。おお、按摩さん、按摩さん、さあ入ってくんねえ。」
門附は、撥《ばち》を除《の》けて、床几《しょうぎ》を叩いて、
「一つ頼もう。女房《おかみ》さん、済まないがちょいと借りるぜ。」
「この畳へ来て横におなりな。按摩さん、お客だす、あとを閉めておくんなさい。」
「へい。」
コトコトと杖の音。
「ええ……とんと早や、影法師も同然なもので。」と掠《かす》れ声を白く出して、黒いけんちゅう羊羹色《ようかんいろ》の被布《ひふ》を着た、燈《ともしび》の影は、赤くその皺《しわ》の中へさし込んだが、日和下駄から消えても失《う》せず、片手を泳ぎ、片手で酒の香を嗅分《かぎわ》けるように入った。
「聞えたか。」
とこの門附は、権のあるものいいで、五六本銚子の並んだ、膳をまた傍《わき》へずらす。
「へへへ」とちょっと鼻をすすって、ふん、とけなりそうに香《におい》を嗅《か》ぐ。
「待ちこがれたもんだから、戸外《そと》を犬が走っても、按摩さんに見えたのさ。こう、悪く言うんじゃないぜ……そこへぬっくりと顕《あらわ》れたろう、酔っている、幻かと思った。」
「ほんに待兼ねていなさったえ。あの、笛の音ばかり気にしなさるので、私もどうやら解《よ》めなんだが、やっと分ったわな、何んともお待遠でござんしたの。」
「これは、おかみさま、御繁昌《ごはんじょう》。」
「お客はお一人じゃ、ゆっく
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