ちだったと聞く。仰いで高い処に、朱の欄干のついた窓があって、そこから顔を出す、その顔が自分の顔であったんだろうにトそう思いながら破れた垣の穴ん処《とこ》に腰をかけてぼんやりしていた。
 いつでもあの翼《はね》の生えたうつくしい人をたずねあぐむ、その昼のうち精神の疲労《つかれ》ないうちは可《い》いんだけれど、度が過ぎて、そんなに晩《おそ》くなると、いつも、こう滅入《めい》ってしまって、何だか、人に離れたような、世間に遠ざかったような気がするので、心細くもあり、うら悲しくもあり、覚束《おぼつか》ないようでもあり、恐しいようでもある。嫌な心持だ、嫌な心持だ。
 早く帰ろうとしたけれど、気が重くなって、その癖神経は鋭くなって、それでいてひとりでにあくびが出た。あれ!
 赤い口をあいたんだなと、自分でそうおもって、吃驚《びっくり》した。
 ぼんやりした梅の枝が手をのばして立ってるようだ。あたりを※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》すと真暗《まっくら》で、遠くの方で、ほう、ほうッて、呼ぶのは何だろう。冴えた通る声で野末を押《おし》ひろげるように、鳴く、トントントントンと谺《こだま》にあたるような響きが遠くから来るように聞える鳥の声は、梟《ふくろう》であった。
 一ツでない。
 二ツも三ツも。私に何を談《はな》すのだろう、私に何を話すのだろう。鳥がものをいうと慄然《ぞっ》として身の毛が弥立《よだ》った。
 ほんとうにその晩ほど恐《こわ》かったことはない。
 蛙《かわず》の声がますます高くなる、これはまた仰山な、何百、どうして幾千と居て鳴いてるので、幾千の蛙が一ツ一ツ眼があって、口があって、足があって、身体《からだ》があって、水ン中に居て、そして声を出すのだ。一ツ一ツ、トわなないた。寒くなった。風が少し出て、樹がゆっさり動いた。
 蛙の声がますます高くなる。居ても立っても居られなくッて、そっと動き出した。身体《からだ》がどうにかなってるようで、すっと立ち切れないで踞《つくば》った、裙《すそ》が足にくるまって、帯が少し弛《ゆる》んで、胸があいて、うつむいたまま天窓《あたま》がすわった。ものがぼんやり見える。
 見えるのは眼だトまたふるえた。
 ふるえながら、そっと、大事に、内証で、手首をすくめて、自分の身体《からだ》を見ようと思って、左右へ袖をひらいた時、もう、思わずキャッと叫んだ。だって私が鳥のように見えたんですもの。どんなに恐かったろう。
 この時、背後《うしろ》から母様《おっかさん》がしっかり抱いて下さらなかったら、私どうしたんだか知れません。それはおそくなったから見に来て下すったんで、泣くことさえ出来なかったのが、
「母様《おっかさん》!」といって離れまいと思って、しっかり、しっかり、しっかり襟ん処《とこ》へかじりついて仰向《あおむ》いてお顔を見た時、フット気が着いた。
 どうもそうらしい、翼《はね》の生えたうつくしい人はどうも母様であるらしい。もう鳥屋には、行《ゆ》くまい。わけてもこの恐しい処へと、その後《のち》ふっつり。
 しかしどうしてもどう見ても、母様にうつくしい五色《ごしき》の翼《はね》が生えちゃあいないから、またそうではなく、他《ほか》にそんな人が居るのかも知れない、どうしても判然《はっきり》しないで疑われる。
 雨も晴れたり、ちょうど石原も辷《すべ》るだろう。母様はああおっしゃるけれど、わざとあの猿にぶつかって、また川へ落ちてみようかしら。そうすりゃまた引上げて下さるだろう。見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、可《い》い。母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。
[#地から1字上げ]明治三十(一八九七)年四月



底本:「泉鏡花集成3」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年1月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第三巻」岩波書店
   1941(昭和16)年12月25日第1刷発行
※疑問点の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。
入力:門田裕志
校正:カエ
2003年8月30日作成
2005年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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