》にして、さかり時は毎日五六十本も出来るので、またあっちこっちに五六人ずつも一団《ひとかたまり》になってるのは、千本しめじッて、くさくさに生えている、それは小さいのだ。木だの、草だのだと、風が吹くと動くんだけれど、蕈だから、あの、蕈だからゆっさりとしもしませぬ。これが智慧があって釣をする人間で、ちっとも動かない。その間に魚《うお》は皆《みんな》で悠々と泳いであるいていますわ。
 また智慧があるっても、口を利かれないから鳥とくらべッこすりゃ、五分々々のがある、それは鳥さしで。
 過日《いつかじゅう》見たことがありました。
 余所《よそ》のおじさんの鳥さしが来て、私ン処《とこ》の橋の詰《つめ》で、榎の下で立留まって、六本めの枝のさきに可愛い頬白《ほおじろ》が居たのを、棹《さお》でもってねらったから、あらあらッてそういったら、叱《し》ッ、黙って、黙って。恐《こわ》い顔をして私を睨《ね》めたから、あとじさりをして、そッと見ていると、呼吸《いき》もしないで、じっとして、石のように黙ってしまって、こう据身《すえみ》になって、中空を貫くように、じりっと棹をのばして、覗《ねら》ってるのに、頬白は何にも知らないで、チ、チ、チッチッてッて、おもしろそうに、何かいってしゃべっていました。それをとうとう突《つッつ》いてさして取ると、棹のさきで、くるくると舞って、まだ烈《はげ》しく声を出して鳴いてるのに、智慧のある小父さんの鳥さしは、黙って、鰌掴《どじょうづかみ》にして、腰の袋ン中へ捻《ねじ》り込んで、それでもまだ黙って、ものもいわないで、のっそり去《い》っちまったことがあったんで。

       四


 頬白は智慧《ちえ》のある鳥さしにとられたけれど、囀《さえず》ってましたもの。ものをいっていましたもの。おじさんは黙《だんま》りで、傍《そば》に見ていた私までものを言うことが出来なかったんだもの。何もくらべっこして、どっちがえらいとも分りはしないって。
 何でもそんなことをいったんで、ほんとうに私そう思っていましたから。
 でも、それを先生が怒ったんではなかったらしい。
 で、まだまだいろんなことをいって、人間が、鳥や獣《けだもの》よりえらいものだとそういっておさとしであったけれど、海ン中だの、山奥だの、私の知らない、分らない処のことばかり譬《たとえ》に引いていうんだから、口答《くちごたえ》は出来なかったけれど、ちっともなるほどと思われるようなことはなかった。
 だって、私、母様《おっかさん》のおっしゃること、虚言《うそ》だと思いませんもの。私の母様がうそをいって聞かせますものか。
 先生は同一組《おなじクラス》の小児《こども》達を三十人も四十人も一人で可愛がろうとするんだし、母様は私一人可愛いんだから、どうして、先生のいうことは私を欺《だま》すんでも、母様がいってお聞かせのは、決して違ったことではない、トそう思ってるのに、先生のは、まるで母様のと違ったこというんだから心服はされないじゃありませんか。
 私が頷《うなず》かないので、先生がまた、それでは、皆《みんな》あなたの思ってる通りにしておきましょう。けれども木だの、草だのよりも、人間が立ち優《まさ》った、立派なものであるということは、いかな、あなたにでも分りましょう、まずそれを基礎《どだい》にして、お談話《はなし》をしようからって、聞きました。
 分らない、私そうは思わなかった。
「あのウ母様《おっかさん》(だって、先生、先生より花の方がうつくしゅうございます)ッてそう謂《い》つたの。僕、ほんとうにそう思ったの、お庭にね、ちょうど菊の花の咲いてるのが見えたから。」
 先生は束髪に結った、色の黒い、なりの低い巌乗《がんじょう》な、でくでく肥《ふと》った婦人《おんな》の方で、私がそういうと顔を赤うした。それから急にツッケンドンなものいいおしだから、大方それが腹をお立ちの原因であろうと思う。
「母様、それで怒ったの、そうなの。」
 母様は合点《がってん》々々をなすって、
「おお、そんなことを坊や、お前いいましたか。そりゃお道理だ。」

 といって笑顔をなすったが、これは私の悪戯《いたずら》をして、母様のおっしゃること肯《き》かない時、ちっとも叱らないで、恐い顔しないで、莞爾《にっこり》笑ってお見せの、それとかわらなかった。
 そうだ。先生の怒ったのはそれに違いない。
「だって、虚言《うそ》をいっちゃあなりませんって、そういつでも先生はいう癖になあ。ほんとうに僕、花の方がきれいだと思うもの。ね、母様、あのお邸《やしき》の坊ちゃんの、青だの、紫だの交《まじ》った、着物より、花の方がうつくしいって、そういうのね。だもの、先生なんざ。」
「あれ、だってもね、そんなこと人の前でいうのではありません。お前と、母様のほかには、こんないいこと知ってるものはないのだから。分らない人にそんなこというと、怒られますよ。ただ、ねえ、そう思っていれば可《い》のだから、いってはなりませんよ。可いかい。そして先生が腹を立ってお憎みだって、そういうけれど、何そんなことがありますものか。それは皆《みんな》お前がそう思うからで、あの、雀だって餌《え》を与《や》って、拾ってるのを見て、嬉しそうだと思えば嬉しそうだし、頬白がおじさんにさされた時悲しい声と思って見れば、ひいひいいって鳴いたように聞えたじゃないか。
 それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたら可いでしょう。ね、そして何かい、学校のお庭に咲いてるのかい。」
「ああ沢山。」
「じゃあその菊を見ようと思って学校へおいで。花はね、ものをいわないから耳に聞えないでも、そのかわり眼にはうつくしいよ。」
 モひとつ不平なのはお天気の悪いことで、戸外《おもて》には、なかなか雨がやみそうにもない。

       五

 また顔を出して窓から川を見た。さっきは雨脚《あめあし》が繁くって、まるで、薄墨で刷《は》いたよう、堤防《どて》だの、石垣だの、蛇籠《じゃかご》だの、中洲《なかす》に草の生えた処だのが、点々《ぽっちりぽっちり》、あちらこちらに黒ずんでいて、それで湿っぽくって、暗かったから見えなかったが、少し晴れて来たから、ものの濡れたのが皆《みんな》見える。
 遠くの方に堤防《どて》の下の石垣の中ほどに、置物のようになって、畏《かしこま》って、猿が居る。
 この猿は、誰が持主というのでもない。細引《ほそびき》の麻縄で棒杭《ぼうぐい》に結《ゆわ》えつけてあるので、あの、湿地茸《しめじたけ》が、腰弁当の握飯を半分|与《や》ったり、坊ちゃんだの、乳母《ばあや》だのが、袂《たもと》の菓子を分けて与ったり、紅《あか》い着物を着ている、みいちゃんの紅雀《べにすずめ》だの、青い羽織を着ている吉公《きちこう》の目白だの、それからお邸《やしき》のかなりやの姫様《ひいさん》なんぞが、皆《みんな》で、からかいに行っては、花を持たせる、手拭《てぬぐい》を被《かぶ》せる、水鉄砲を浴《あび》せるという、好きな玩弄物《おもちゃ》にして、そのかわり何でもたべるものを分けてやるので、誰といって、きまって世話をする、飼主はないのだけれど、猿の餓えることはありはしなかった。
 時々|悪戯《いたずら》をして、その紅雀の天窓《あたま》の毛を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》ったり、かなりやを引掻《ひっか》いたりすることがあるので、あの猿松が居ては、うっかり可愛らしい小鳥を手放《てばなし》にして戸外《おもて》へ出してはおけない、誰か見張ってでもいないと、危険《けんのん》だからって、ちょいちょい縄を解いて放してやったことが幾度もあった。
 放すが疾《はや》いか、猿は方々を駈《かけ》ずり廻って勝手放題な道楽をする。夜中に月が明《あかる》い時、寺の門を叩いたこともあったそうだし、人の庖厨《くりや》へ忍び込んで、鍋《なべ》の大《おおき》いのと飯櫃《めしびつ》を大屋根へ持って、あがって、手掴《てづかみ》で食べたこともあったそうだし、ひらひらと青いなかから紅い切《きれ》のこぼれている、うつくしい鳥の袂を引張《ひっぱ》って、遥《はるか》に見える山を指《ゆびさ》して気絶さしたこともあったそうなり、私の覚えてからも一度誰かが、縄を切ってやったことがあった。その時はこの時雨榎《しぐれえのき》の枝の両股になってる処に、仰向《あおむけ》に寝転んでいて、烏の脛《あし》を捕《つかま》えた。それから畚《びく》に入れてある、あのしめじ蕈《たけ》が釣った、沙魚《はぜ》をぶちまけて、散々《さんざ》悪巫山戯《わるふざけ》をした挙句が、橋の詰《つめ》の浮世床のおじさんに掴《つか》まって、額の毛を真四角《まっしかく》に鋏《はさ》まれた、それで堪忍をして追放《おっぱな》したんだそうだのに、夜が明けて見ると、また平時《いつも》の処に棒杭にちゃんと結えてあッた。蛇籠の上の、石垣の中ほどで、上の堤防《どて》には柳の切株がある処。
 またはじまった、この通りに猿をつかまえてここへ縛っとくのは誰だろう誰だろうッて一《ひと》しきり騒いだのを私は知っている。
 で、この猿には出処がある。
 それは母様《おっかさん》が御存じで、私にお話しなすった。
 八九年前のこと、私がまだ母様のお腹《なか》ん中に小さくなっていた時分なんで、正月、春のはじめのことであった。
 今はただ広い世の中に母様と、やがて、私のものといったら、この番小屋と仮橋の他《ほか》にはないが、その時分はこの橋ほどのものは、邸の庭の中の一ツの眺望《ながめ》に過ぎないのであったそうで。今、市《まち》の人が春、夏、秋、冬、遊山に来る、桜山も、桃谷も、あの梅林も、菖蒲《あやめ》の池も皆《みんな》父様《おとっさん》ので、頬白だの、目白だの、山雀《やまがら》だのが、この窓から堤防《どて》の岸や、柳の下《もと》や、蛇籠の上に居るのが見える、その身体《からだ》の色ばかりがそれである、小鳥ではない、ほんとうの可愛らしい、うつくしいのがちょうどこんな工合に朱塗《しゅぬり》の欄干のついた二階の窓から見えたそうで。今日はまだお言いでないが、こういう雨の降って淋《さみ》しい時なぞは、その時分《ころ》のことをいつでもいってお聞かせだ。

       六

 今ではそんな楽しい、うつくしい、花園がないかわり、前に橋銭を受取る笊《ざる》の置いてある、この小さな窓から風がわりな猪だの、希代な蕈《きのこ》だの、不思議な猿だの、まだその他に人の顔をした鳥だの、獣だのが、いくらでも見えるから、ちっとは思出《おもいで》になるといっちゃあ、アノ笑顔をおしなので、私もそう思って見るせいか、人があるいて行《ゆ》く時、片足をあげた処は一本脚の鳥のようでおもしろい。人の笑うのを見ると獣《けだもの》が大きな赤い口をあけたよと思っておもしろい。みいちゃんがものをいうと、おや小鳥が囀《さえず》るかとそう思っておかしいのだ。で、何でも、おもしろくッて、おかしくッて、吹出さずには居られない。
 だけれど今しがたも母様《おっかさん》がおいいの通り、こんないいことを知ってるのは、母様と私ばかりで、どうして、みいちゃんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教えたって分るものか。
 人に踏まれたり、蹴《け》られたり、後足で砂をかけられたり、苛《いじ》められて責《さいな》まれて、煮湯《にえゆ》を飲ませられて、砂を浴《あび》せられて、鞭《むち》うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉《のど》がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰《なぐさみ》にされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜《くや》しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣《けだもの》めと始終そう思って、五年も八年も経《た》たなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡《なくな》んなすった、父様《おとっさん
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング