ほどのものだということを。
とこうおっしゃるんだから。私はいつも手をついて聞きました。
で、はじめの内はどうしても人が、鳥や、獣《けだもの》とは思われないで、優しくされれば嬉しかった、叱られると恐かった、泣いてると可哀相だった、そしていろんなことを思った。そのたびにそういって母様にきいてみると何、皆《みんな》鳥が囀ってるんだの、犬が吠《ほ》えるんだの、あの、猿が歯を剥《む》くんだの、木が身ぶるいをするんだのとちっとも違ったことはないって、そうおっしゃるけれど、やっぱりそうばかりは思われないで、いじめられて泣いたり、撫《な》でられて嬉しかったりしいしいしたのを、その都度母様に教えられて、今じゃあモウ何とも思っていない。
そしてまだああ濡れては寒いだろう、冷たいだろうと、さきのように雨に濡れてびしょびしょ行《ゆ》くのを見ると気の毒だったり、釣《つり》をしている人がおもしろそうだとそう思ったりなんぞしたのが、この節じゃもう、ただ、変な蕈だ、妙な猪だと、おかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見ッともないばかりである、馬鹿々々しいばかりである、それからみいち
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