》とこの母様とが聞いても身震《みぶるい》がするような、そういう酷《ひど》いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、私はただ母ちゃん母ちゃんてッて母様の肩をつかまえたり、膝にのっかったり、針箱の引出《ひきだし》を交ぜかえしたり、物さしをまわしてみたり、裁縫《おしごと》の衣服《きもの》を天窓《あたま》から被《かぶ》ってみたり、叱られて遁《に》げ出したりしていて、それでちゃんと教えて頂いて、それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、獣《けだもの》だの、草だの、木だの、虫だの、蕈だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にこういういいことを教えて下すった母様は、とそう思う時は鬱《ふさ》ぎました。これはちっともおもしろくなくって悲しかった、勿体ない、とそう思った。
だって母様がおろそかに聞いてはなりません。私がそれほどの思《おもい》をしてようようお前に教えらるるようになったんだから、うかつに聞いていては罰があたります。人間も、鳥獣も草木も、昆虫類も、皆《みんな》形こそ変っていてもおんなじほどのものだということを。
とこうおっしゃるんだから。私はいつも手をついて聞きました。
で、はじめの内はどうしても人が、鳥や、獣《けだもの》とは思われないで、優しくされれば嬉しかった、叱られると恐かった、泣いてると可哀相だった、そしていろんなことを思った。そのたびにそういって母様にきいてみると何、皆《みんな》鳥が囀ってるんだの、犬が吠《ほ》えるんだの、あの、猿が歯を剥《む》くんだの、木が身ぶるいをするんだのとちっとも違ったことはないって、そうおっしゃるけれど、やっぱりそうばかりは思われないで、いじめられて泣いたり、撫《な》でられて嬉しかったりしいしいしたのを、その都度母様に教えられて、今じゃあモウ何とも思っていない。
そしてまだああ濡れては寒いだろう、冷たいだろうと、さきのように雨に濡れてびしょびしょ行《ゆ》くのを見ると気の毒だったり、釣《つり》をしている人がおもしろそうだとそう思ったりなんぞしたのが、この節じゃもう、ただ、変な蕈だ、妙な猪だと、おかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見ッともないばかりである、馬鹿々々しいばかりである、それからみいち
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