はないのだけれど、猿の餓えることはありはしなかった。
時々|悪戯《いたずら》をして、その紅雀の天窓《あたま》の毛を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》ったり、かなりやを引掻《ひっか》いたりすることがあるので、あの猿松が居ては、うっかり可愛らしい小鳥を手放《てばなし》にして戸外《おもて》へ出してはおけない、誰か見張ってでもいないと、危険《けんのん》だからって、ちょいちょい縄を解いて放してやったことが幾度もあった。
放すが疾《はや》いか、猿は方々を駈《かけ》ずり廻って勝手放題な道楽をする。夜中に月が明《あかる》い時、寺の門を叩いたこともあったそうだし、人の庖厨《くりや》へ忍び込んで、鍋《なべ》の大《おおき》いのと飯櫃《めしびつ》を大屋根へ持って、あがって、手掴《てづかみ》で食べたこともあったそうだし、ひらひらと青いなかから紅い切《きれ》のこぼれている、うつくしい鳥の袂を引張《ひっぱ》って、遥《はるか》に見える山を指《ゆびさ》して気絶さしたこともあったそうなり、私の覚えてからも一度誰かが、縄を切ってやったことがあった。その時はこの時雨榎《しぐれえのき》の枝の両股になってる処に、仰向《あおむけ》に寝転んでいて、烏の脛《あし》を捕《つかま》えた。それから畚《びく》に入れてある、あのしめじ蕈《たけ》が釣った、沙魚《はぜ》をぶちまけて、散々《さんざ》悪巫山戯《わるふざけ》をした挙句が、橋の詰《つめ》の浮世床のおじさんに掴《つか》まって、額の毛を真四角《まっしかく》に鋏《はさ》まれた、それで堪忍をして追放《おっぱな》したんだそうだのに、夜が明けて見ると、また平時《いつも》の処に棒杭にちゃんと結えてあッた。蛇籠の上の、石垣の中ほどで、上の堤防《どて》には柳の切株がある処。
またはじまった、この通りに猿をつかまえてここへ縛っとくのは誰だろう誰だろうッて一《ひと》しきり騒いだのを私は知っている。
で、この猿には出処がある。
それは母様《おっかさん》が御存じで、私にお話しなすった。
八九年前のこと、私がまだ母様のお腹《なか》ん中に小さくなっていた時分なんで、正月、春のはじめのことであった。
今はただ広い世の中に母様と、やがて、私のものといったら、この番小屋と仮橋の他《ほか》にはないが、その時分はこの橋ほどのものは、邸の庭の中の一ツの眺望《ながめ》に過ぎないの
前へ
次へ
全22ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング