る、つまらないばかりである、見《み》ツともないばかりである、馬鹿《ばか》々々しいばかりである、それからみいちやんのやうなのは可愛《かあい》らしいのである、吉公《きちかう》のやうなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀《べにすゞめ》がうつくしいのと、目白《めじろ》が可愛《かあい》らしいのと些少《ちつと》も違《ちが》ひはせぬので、うつくしい、可愛《かあい》らしい。うつくしい、可愛《かあい》らしい。

     第七

また憎《にく》らしいのがある。腹立《はらた》たしいのも他《ほか》にあるけれども其《それ》も一場合《あるばあひ》に猿《さる》が憎《にく》らしかつたり、鳥《とり》が腹立《はらだ》たしかつたりするのとかはりは無《な》いので、煎《せん》ずれば皆《みな》をかしいばかり、矢張《やつぱり》噴飯材料《ふきだすたね》なんで、別《べつ》に取留《とりと》めたことがありはしなかつた。
で、つまり情《じやう》を動《うご》かされて、悲《かなし》む、愁《うれ》うる、楽《たのし》む、喜《よろこ》ぶなどいふことは、時《とき》に因《よ》り場合《ばあひ》に於《おい》ての母様《おつかさん》ばかりなので。余所《よ
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