みづ》ン中《なか》だと思《おも》つて叫《さけ》ばうとすると水《みづ》をのんだ。もう駄目《だめ》だ。
もういかんとあきらめるトタンに胸《むね》が痛《いた》かつた、それから悠々《いういう》と水《みづ》を吸《す》つた、するとうつとりして何《なん》だか分《わか》らなくなつたと思《おも》ふと溌《ぱつ》と糸《いと》のやうな真赤《まつか》な光線《くわうせん》がさして、一巾《ひとはゞ》あかるくなつたなかにこの身躰《からだ》が包《つゝ》まれたので、ほつといきをつくと、山《やま》の端《は》が遠《とほ》く見《み》えて私《わたし》のからだは地《つち》を放《はな》れて其頂《そのいたゞき》より上《うへ》の処《ところ》に冷《つめた》いものに抱《かゝ》へられて居《ゐ》たやうで、大《おほ》きなうつくしい眼《め》が、濡髪《ぬれがみ》をかぶつて私《わたし》の頬《ほゝ》ん処《とこ》へくつゝいたから、唯《たゞ》縋《すが》り着《つ》いてじつと眼《め》を眠《ねむ》つた[「眠つた」に「ママ」の注記]覚《おぼえ》がある。夢《ゆめ》ではない。
やつぱり片袖《かたそで》なかつたもの、そして川《かは》へ落《おつ》こちて溺《おぼ》れさうだつたのを救《すく》はれたんだつて、母様《おつかさん》のお膝《ひざ》に抱《だ》かれて居《ゐ》て、其晩《そのばん》聞《き》いたんだもの。だから夢《ゆめ》ではない。
一躰《いつたい》助《たす》けて呉《く》れたのは誰《だれ》ですッて、母様《おつかさん》に問《と》ふた。私《わたし》がものを聞《き》いて、返事《へんじ》に躊躇《ちうちよ》をなすつたのは此時《このとき》ばかりで、また、それは猪《いぬしゝ》だとか、狼《おほかみ》だとか、狐《きつね》だとか、頬白《ほゝじろ》だとか、山雀《やまがら》だとか、鮟鱇《あんかう》だとか鯖《さば》だとか、蛆《うぢ》だとか、毛虫《けむし》だとか、草《くさ》だとか、竹《たけ》だとか、松茸《まつたけ》だとか、しめぢだとかおいひでなかつたのも此時《このとき》ばかりで、そして顔《かほ》の色《いろ》をおかへなすつたのも此時《このとき》ばかりで、それに小《ちひ》さな声《こゑ》でおつしやつたのも此時《このとき》ばかりだ。
そして母様《おつかさん》はかうおいひであつた。
(廉《れん》や、それはね、大《おほ》きな五色《ごしき》の翼《はね》があつて天上《てんじやう》に遊《あそ》んで居《ゐ》る
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