書《かたがき》の処《ところ》を指《ゆびさ》した、恐《おそ》ろしくみぢかい指《ゆび》で、黄金《きん》の指輪《ゆびわ》の太《ふと》いのをはめて居《ゐ》る。
手《て》にも取《と》らないで、口《くち》のなかに低声《こゞゑ》におよみなすつたのが、市内衛生会委員《しないえいせいくわいゐゝん》、教育談話会幹事《きやういくだんわくわいかんじ》、生命保険会社々員《せいめいほけんくわいしや/\ゐん》、一六会々長《いちろくくわい/\ちやう》、美術奨励会理事《びじゆつしやうれいくわいりじ》、大日本赤十字社社員《だいにつぽんせきじふじしや/\ゐん》、天野喜太郎《あまのきたらう》。
「この方《かた》ですか。」
「うゝ。」といつた時《とき》ふつくりした鼻《はな》のさきがふら/\して、手《て》で、胸《むね》にかけた赤十字《せきじふじ》の徽章《きしやう》をはぢいたあとで、
「分《わか》つたかね。」
こんどはやさしい声《こゑ》でさういつたまゝまた行《ゆ》きさうにする。
「いけません。お払《はらひ》でなきやアあとへお帰《かへ》ンなさい。」とおつしやつた。先生《せんせい》妙《めう》な顔《かほ》をしてぼんやり立《た》つてたが少《すこ》しむきになつて、
「えゝ、こ、細《こまか》いのがないんじやから。」
「おつりを差上《さしあ》げましやう。」
おつかさんは帯《おび》のあひだへ手《て》をお入《い》れ遊《あそ》ばした。

     第十

母様《おつかさん》はうそをおつしやらない、博士《はかせ》が橋銭《はしせん》をおいてにげて行《ゆ》くと、しばらくして雨《あめ》が晴《は》れた。橋《はし》も蛇籠《じやかご》も皆《みんな》雨《あめ》にぬれて、黒《くろ》くなつて、あかるい日中《ひなか》へ出《で》た。榎《えのき》の枝《えだ》からは時《とき》々はら/\と雫《しづく》が落《お》ちる、中流《ちうりう》へ太陽《ひ》がさして、みつめて居《ゐ》るとまばゆいばかり。
「母様《おつかさん》遊《あそ》びに行《ゆ》かうや。」
此時《このとき》鋏《はさみ》をお取《と》んなすつて、
「あゝ。」
「ねイ、出《で》かけたつて可《いゝ》の、晴《は》れたんだもの。」
「可《いゝ》けれど、廉《れん》や、お前《まへ》またあんまりお猿《さる》にからかつてはなりませんよ。さう、可塩梅《いゝあんばい》にうつくしい羽《はね》の生《は》へた姉《ねえ》さんが何時《いつ》
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