ほと》んど無《な》い、それに人《ひと》から聞《き》いて居《ゐ》たことは曾《かつ》てないので、いつでも自分《じぶん》で聞《き》かせて居《ゐ》る、が、聞《き》くものがなければ独《ひとり》で、むゝ、ふむ、といつたやうな、承知《しようち》したやうなことを独言《ひとりごと》のやうでなく、聞《き》かせるやうにいつてる人《ひと》で、母様《おつかさん》も御存《ごぞん》じで、彼《あれ》は博士《はかせ》ぶりといふのであるとおつしやつた。
けれども鰤《ぶり》ではたしかにない、あの腹《はら》のふくれた様子《やうす》といつたら、宛然《まるで》、鮟鱇《あんかう》に肖《に》て居《ゐ》るので、私《わたし》は蔭《かげ》じやあ鮟鱇博士《あんかうはかせ》とさういひますワ。此間《このあひだ》も学校《がくかう》へ参観《さんくわん》に来《き》たことがある。其時《そのとき》も今《いま》被《かむ》つて居《ゐ》る、高《たか》い帽子《ばうし》を持《も》つて居《ゐ》たが、何《なん》だつてまたあんな度《ど》はづれの帽子《ばうし》を着《き》たがるんだらう。
だつて、眼鏡《めがね》を拭《ふ》かうとして、蝙蝠傘《かうもりがさ》を頤《をとがひ》で押《おさ》へて、うつむいたと思《おも》ふと、ほら/\、帽子《ばうし》が傾《かたむ》いて、重量《おもみ》で沈《しづ》み出《だ》して、見《み》てるうちにすつぼり、赤《あか》い鼻《はな》の上《うへ》へ被《かぶ》さるんだもの。眼鏡《めがね》をはづした上《うへ》で帽子《ばうし》がかぶさつて、眼《め》が見《み》えなくなつたんだから驚《おどろ》いた、顔中《かほぢう》帽子《ばうし》、唯《たゞ》口《くち》ばかりが、其《その》口《くち》を赤《あか》くあけて、あはてゝ、顔《かほ》をふりあげて、帽子《ばうし》を揺《ゆ》りあげやうとしたから蝙蝠傘《かうもりがさ》がばツたり落《お》ちた。落《おつ》こちると勢《いきほひ》よく三《みつ》ツばかりくる/\とまつた間《あひだ》に、鮟鱇博士《あんかうはかせ》は五《いつ》ツばかりおまはりをして、手《て》をのばすと、ひよいと横《よこ》なぐれに風《かぜ》を受《う》けて、斜《なゝ》めに飛《と》んで、遙《はる》か川下《かはしも》の方《はう》へ憎《にく》らしく落着《おちつ》いた風《ふう》でゆつたりしてふわりと落《お》ちるト忽《たちま》ち矢《や》の如《ごと》くに流《なが》れ出《だ》した。

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