とき》に渡《わた》つたからツて、少《すこ》し揺《ゆ》れはしやうけれど、折《を》れて落《お》つるやうな憂慮《きづかひ》はないのであつた。
ちやうど市《まち》の場末《ばすゑ》に住《す》むでる日傭取《ひようとり》、土方《どかた》、人足《にんそく》、それから、三味線《さみせん》を弾《ひ》いたり、太鼓《たいこ》を鳴《な》らして飴《あめ》を売《う》つたりする者《もの》、越後獅子《ゑちごじゝ》やら、猿廻《さるまはし》やら、附木《つけぎ》を売《う》る者《もの》だの、唄《うた》を謡《うた》ふものだの、元結《もつとゐ》よりだの、早附木《はやつけぎ》の箱《はこ》を内職《ないしよく》にするものなんぞが、目貫《めぬき》の市《まち》へ出《で》て行《ゆ》く往帰《ゆきかへ》りには、是非《ぜひ》母様《おつかさん》の橋《はし》を通《とほ》らなければならないので、百人と二百人づゝ朝晩《あさばん》賑《にぎや》な[#「賑《にぎや》な」はママ]人通《ひとどほ》りがある。
それからまた向《むか》ふから渡《わた》つて来《き》てこの橋《はし》を越《こ》して場末《ばすゑ》の穢《きたな》い町《まち》を通《とほ》り過《す》ぎると、野原《のはら》へ出《で》る。そこン処《とこ》は梅林《ばいりん》で上《うへ》の山《やま》が桜《さくら》の名所《めいしよ》で、其《その》下《した》に桃谷《もゝたに》といふのがあつて、谷間《たにあひ》の小流《こながれ》には、菖浦《あやめ》、燕子花《かきつばた》が一杯《いつぱい》咲《さ》く。頬白《ほゝじろ》、山雀《やまがら》、雲雀《ひばり》などが、ばら/\になつて唄《うた》つて居《ゐ》るから、綺麗《きれい》な着物《きもの》を着《き》た問屋《とひや》の女《むすめ》だの、金満家《かねもち》の隠居《いんきよ》だの、瓢《ひさご》を腰《こし》へ提《さ》げたり、花《はな》の枝《えだ》をかついだりして千鳥足《ちどりあし》で通《とほ》るのがある、それは春《はる》のことで。夏《なつ》になると納涼《すずみ》だといつて人《ひと》が出《で》る、秋《あき》は茸狩《たけがり》に出懸《でか》けて来《く》る、遊山《ゆさん》をするのが、皆《みんな》内《うち》の橋《はし》を通《とほ》らねばならない。
この間《あひだ》も誰《たれ》かと二三|人《にん》づれで、学校《がくかう》のお師匠《しゝやう》さんが、内《うち》の前《まへ》を通《とほ》つて、
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