中《なか》ほどで、上《うへ》の堤防《どて》には柳《やなぎ》の切株《きりかぶ》がある処《ところ》。
またはじまつた、此通《このとほ》りに猿《さる》をつかまへて此処《こゝ》へ縛《しば》つとくのは誰《だれ》だらう/\ツて、一《ひと》しきり騒《さわ》いだのを私《わたし》は知《し》つて居《ゐ》る。
で、此《この》猿《さる》には出処《しゆつしよ》がある。
其《それ》は母様《おつかさん》が御存《ごぞん》じで、私《わたし》にお話《はな》しなすツた。
八九年|前《まへ》のこと、私《わたし》がまだ母様《おつかさん》のお腹《なか》ん中《なか》に小《ちつ》さくなつて居《ゐ》た時分《じぶん》なんで、正月、春のはじめのことであつた。
今《いま》は唯《たゞ》広《ひろ》い世《よ》の中《なか》に母様《おつかさん》と、やがて、私《わたし》のものといつたら、此《この》番小屋《ばんこや》と仮橋《かりばし》の他《ほか》にはないが、其《その》時分《じぶん》は此《この》橋《はし》ほどのものは、邸《やしき》の庭《には》の中《なか》の一《ひと》ツの眺望《ながめ》に過《す》ぎないのであつたさうで、今《いま》市《いち》の人《ひと》が春《はる》、夏《なつ》、秋《あき》、冬《ふゆ》、遊山《ゆさん》に来《く》る、桜山《さくらやま》も、桃谷《もゝたに》も、あの梅林《ばいりん》も、菖蒲《あやめ》の池《いけ》も皆《みんな》父様《とつちやん》ので、頬白《ほゝじろ》だの、目白《めじろ》だの、山雀《やまがら》だのが、この窓《まど》から堤防《どて》の岸《きし》や、柳《やなぎ》の下《もと》や、蛇籠《じやかご》の上《うへ》に居《ゐ》るのが見《み》える、其《その》身体《からだ》の色《いろ》ばかりが其《それ》である、小鳥《ことり》ではない、ほんとう[#「とう」に「ママ」の注記]の可愛《かあい》らしい、うつくしいのがちやうどこんな工合《ぐあひ》に朱塗《しゆぬり》の欄干《らんかん》のついた二階《にかい》の窓《まど》から見《み》えたさうで。今日《けふ》はまだおいひでないが、かういふ雨《あめ》の降《ふ》つて淋《さみ》しい時《とき》なぞは、其時分《そのころ》のことをいつでもいつてお聞《き》かせだ。
第六
今《いま》ではそんな楽《たの》しい、うつくしい、花園《はなぞの》がないかはり、前《まへ》に橋銭《はしせん》を受取《うけと》る笊《ざる》の置《
前へ
次へ
全33ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング