なすつたが、これは私《わたし》の悪戯《いたづら》をして、母様《おつかさん》のおつしやること肯《き》かない時《とき》、ちつとも叱《しか》らないで、恐《こは》い顔《かほ》しないで、莞爾《につこり》笑《わら》つてお見《み》せの、其《それ》とかはらなかつた。
さうだ。先生《せんせい》の怒《おこ》つたのはそれに違《ちが》ひない。
「だつて、虚言《うそ》をいつちやあなりませんつて、さういつでも先生《せんせい》はいふ癖《くせ》になあ、ほんとう[#「とう」に「ママ」の注記]に僕《ぼく》、花《はな》の方《はう》がきれいだと思《おも》ふもの。ね、母様《おつかさん》、あのお邸《やしき》の坊《ぼつ》ちん[#「ちん」に「ママ」の注記]の青《あを》だの、紫《むらさき》だの交《まじ》つた、着物《きもの》より、花《はな》の方《はう》がうつくしいつて、さういふのね。だもの、先生《せんせい》なんざ。」
「あれ、だつてもね、そんなこと人《ひと》の前《まへ》でいふのではありません。お前《まへ》と、母様《おつかさん》のほかには、こんないゝこと知《し》つてるものはないのだから、分《わか》らない人《ひと》にそんなこといふと、怒《おこ》られますよ。唯《たゞ》、ねえ、さう思《おも》つて、居《ゐ》れば、可《いゝ》のだから、いつてはなりませんよ。可《いゝ》かい。そして先生《せんせい》が腹《はら》を立《た》つてお憎《にく》みだつて、さういふけれど、何《なに》そんなことがありますものか。其《それ》は皆《みんな》お前《まへ》がさう思《おも》ふからで、あの、雀《すゞめ》だつて餌《ゑさ》を与《や》つて、拾《ひろ》つてるのを見《み》て、嬉《うれ》しさうだと思《おも》へば嬉《うれ》しさうだし、頬白《ほゝじろ》がおぢさんにさゝれた時《とき》悲《かな》しい声《こゑ》だと思《おも》つて見《み》れば、ひい/\いつて鳴《な》いたやうに聞《き》こえたぢやないか。
それでも先生《せんせい》が恐《こは》い顔《かほ》をしておいでなら、そんなものは見《み》て居《ゐ》ないで、今《いま》お前《まへ》がいつた、其《その》うつくしい菊《きく》の花《はな》を見《み》て居《ゐ》たら可《いゝ》でしやう。ね、そして何《なに》かい、学校《がくかう》のお庭《には》に咲《さ》いてるのかい。」
「あゝ沢山《たくさん》。」
「ぢやあ其《その》菊《きく》を見《み》やうと思《おも》
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