いえども、その音の響《ひびき》、言知らず、もの凄《すさ》まじ。多分はここに言える、首《こうべ》を下より押上《あしあぐ》るようにして吠ゆる時の事ならん。雨の日とあり、岩山の岩の上とあり。学校がえりの子どもが見たりとあるにて、目のあたりお犬の経立ちに逢う心地す。荒涼たる僻村《へきそん》の風情も文字の外にあらわれたり。岩のとげとげしきも見ゆ。雨も降るごとし。小児《こども》もびしょびしょと寂《さみ》しく通る。天地この時、ただ黒雲の下に経立《ふつた》つ幾多馬の子ほどのお犬あり。一つずつかわるがわる吠ゆる声、可怪《あや》しき鐘の音《ね》のごとく響きて、威霊いわん方なし。
 近頃とも言わず、狼は、木曾街道にもその権威を失いぬ。われら幼き時さえ、隣のおばさん物語りて――片山里にひとり寂しく棲《す》む媼《おうな》あり。屋根傾き、柱朽ちたるに、細々と苧《お》をうみいる。狼、のしのしと出でてうかがうに、老いさらぼいたるものなれば、金魚麩《きんぎょぶ》のようにて欲《ほし》くもあらねど、吠えても嗅《か》いでみても恐れぬが癪《しやく》に障りて、毎夜のごとく小屋をまわりて怯《おびや》かす。時雨しとしとと降りける夜《
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