お宿へ、飛《とん》だお邪魔《じゃま》をいたしましてございますの。」
「宿へお出《いで》は構わんが、こんな処で話してはちと真面目になるから、事が面倒になりはしないかと思うんだが。
そうかと云って昨夜《ゆうべ》のような、杯盤狼藉《はいばんろうぜき》という場所も困るんだよ。
実は墓参詣《はかまいり》の事だから、」
と云いかけて、だんだん火鉢を手許《てもと》へ引いたのに心着いて、一膝下って向うへ圧《お》して、
「お前さん、煙草《たばこ》は?」
黙《だま》って莞爾《にっこり》する。
「喫《の》むだろう。」
「生意気《なまいき》でございますわ。」
「遠慮なしにお喫《あが》り、お喫り。上げようか、巻いたんでよけりゃ。」
「いいえ、持っておりますよ。」
と帯の処へ手を当てる。
「そこでと、湯も沸《わ》いてるから、茶を飲みたければ飲むと……羊羹《ようかん》がある。一本五銭ぐらいなんだが、よければお撮《つま》みと……今に何ぞご馳走《ちそう》しようが、まあ、お尋《たずね》の件を済ましてからの事にしよう、それがいい。」
独《ひと》りで云って、独りで極《き》めて、
「さて、その事だが、」
「はあ、」
とまた片手をついた。胸へ気が籠《こも》ったか、乳のあたりがふっくりとなる。
「余り気を入れると他愛《たわい》がないよ。ちっとこう更《あらたま》っては取留めのない事なんだから。いいかい、」
ともの優しく念を入れて、
「私は小児《こども》の時だったから、唾《つばき》をつけて、こう引返すと、台なしに汚《よご》すと云って厭《いや》がったっけ。死んだ阿母《おふくろ》が大事にしていた、絵も、歌の文字も、対《つい》の歌留多《かるた》が別にあってね、極彩色《ごくさいしき》の口絵の八九枚入った、綺麗《きれい》な本の小倉百人一首《おぐらひゃくにんいっしゅ》というのが一冊あった。
その中のね、女用文章の処を開けると……」と畳の上で、謙造は何にもないのを折返した。
四
「トそこに高髷に結った、瓜核顔《うりざねがお》で品のいい、何とも云えないほど口許《くちもと》の優《やさし》い、目の清《すずし》い、眉の美しい、十八九の振袖《ふりそで》が、裾《すそ》を曳《ひ》いて、嫋娜《すらり》と中腰に立って、左の手を膝の処へ置いて、右の手で、筆を持った小児《こども》の手を持添えて、その小児《こども》の顔を
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