、上から俯目《ふしめ》に覗込《のぞきこ》むようにして、莞爾《にっこり》していると、小児《こども》は行儀よく机《つくえ》に向って、草紙に手習のところなんだがね。
 今でも、その絵が目に着いている。衣服《きもの》の縞柄《しまがら》も真《まこと》にしなやかに、よくその膚合《はだあい》に叶《かな》ったという工合で。小児《こども》の背中に、その膝についた手の仕切がなかったら、膚へさぞ移香《うつりが》もするだろうと思うように、ふっくりとなだらかに褄《つま》を捌《さば》いて、こう引廻《ひきまわ》した裾が、小児《こども》を庇《かば》ったように、しんせつに情《じょう》が籠《こも》っていたんだよ。
 大袈裟《おおげさ》に聞えようけれども。
 私は、その絵が大好きで、開けちゃ、見い見いしたもんだから、百人一首を持出して、さっと開《あけ》ると、またいつでもそこが出る。
 この※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、295−4]《ねえ》さんは誰だい?と聞くと阿母《おふくろ》が、それはお向うの※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、295−4]《ねえ》さんだよ、と言い言いしたんだ。
 そのお向うの※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、295−6]《ねえ》さんというのに、……お前さんが肖《に》ているんだがね――まあ、お聞きよ。」
「はあ、」
 と※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った目がうつくしく、その俤《おもかげ》が映りそう。
「お向うというのは、前に土蔵《どぞう》が二戸前《ふたとまえ》。格子戸《こうしど》に並《なら》んでいた大家《たいけ》でね。私の家なんぞとは、すっかり暮向きが違《ちが》う上に、金貸だそうだったよ。何となく近所との隔《へだ》てがあったし、余り人づきあいをしないといった風で。出入も余計なし、なおさら奥行が深くって、裏はどこの国まで続いているんだか、小児心《こどもごころ》には知れないほどだったから、ついぞ遊びに行った事もなければ、時々、門口じゃ、その※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、295−14]《ねえ》さんというのの母親に口を利かれる事があっても、こっちは含羞《はにかん》で遁《に》げ出したように覚えている。
 だから、そのお嬢《じょう》さんなん
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