お療治はいたしません、と申すが、此屋《こちら》様なり、そのお座敷は、手前同業の正斎と申す……河豚《ふぐ》のようではござりますが、腹に一向の毒のない男が持分に承っておりましたので、この正斎が、右の小一の師匠なのでござりまして。」
「成程、しかし狭い土地だ。そんなに逗留をしているうちには、きみなんか、その娘ッ子なり、おかみさんを、途中で見掛けた――いや、これは失礼した、見えなかったね。」
「旦那、口幅《くちはば》っとうはござりますが、目で見ますより聞く方が確《たしか》でござります。それに、それお通りだなどと、途中で皆がひそひそ遣ります処へ出会いますと、芬《ぷん》とな、何とも申されません匂が。……温泉から上りまして、梅の花をその……嗅《か》ぎますようで、はい。」
 座には今、その白梅よりやや淡青《うすあお》い、春の李《すもも》の薫《かおり》がしたろう。
 うっかり、ぷんと嗅いで、
「不躾《ぶしつ》け。」
 と思わずしゃべった。
「その香の好《よ》さと申したら、通りすがりの私どもさえ、寐《ね》しなに衣《き》ものを着換えましてからも、身うちが、ほんのりと爽《さわや》いで、一晩、極楽天上の夢を見た
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