で、一行異形のものは、鶩《あひる》の夢を踏んで、橋を渡った。
 鬼は、お桂のために心を配って来たらしい。
 演芸館の旗は、人の顔と、頭との中に、電飾に輝いた。……町の角から、館の前の広場へひしと詰《つま》って、露台に溢《あふ》れたからである。この時は、軒提灯のあと始末と、火の用心だけに家々に残ったもののほか、町を挙げてここへ詰掛けたと言って可《い》い。
 そのかわり、群集の一重《ひとえ》うしろは、道を白く引いて寂然《しん》としている。
「おう、お嬢さん……そいつを持ちます、俺の役だ。」
 赤鬼は、直ちに半助の地声であった。
 按摩の頭は、提灯とともに、人垣の群集の背後《うしろ》についた。
「もう、要らないわ、此店《ここ》へ返して、ね。」
 と言った。
「青牛よ。」
「もう。」
「生白い、いい肴《さかな》だ。釜で煮べい。」
「もう。」
 館の電飾が流るるように、町並の飾竹が、桜のつくり枝とともに颯《さっ》と鳴った。更けて山颪《やまおろし》がしたのである。
 竹を掉抜《ふるいぬ》きに、たとえば串から倒《さかさ》に幽霊の女を釜の中へ入れようとした時である。砂礫《すなつぶて》を捲《ま》いて、地を一陣の迅《と》き風がびゅうと、吹添うと、すっと抜けて、軒を斜《ななめ》に、大屋根の上へ、あれあれ、もの干を離れて、白帷子《しろかたびら》の裾《すそ》を空に、幽霊の姿は、煙筒《えんとつ》の煙が懐手をしたように、遥《はるか》に虚空へ、遥に虚空へ――
 群集はもとより、立溢《たちあふ》れて、石の点頭《うなず》くがごとく、踞《かが》みながら視《み》ていた、人々は、羊のごとく立って、あッと言った。
 小一按摩の妄念も、人混《ひとごみ》の中へ消えたのである。

       五

 土地の風説に残り、ふとして、浴客の耳に伝うる処は……これだけであろうと思う。
 しかし、少し余談がある。とにかく、お桂さんたちは、来た時のように、一所に二人では帰らなかった。――

 風に乗って、飛んで、宙へ消えた幽霊のあと始末は、半助が赤鬼の形相のままで、蝙蝠《バット》を吹かしながら、射的店へ話をつけた。此奴《こいつ》は褌《ふんどし》にするため、野良猫の三毛を退治《たいじ》て、二月越《ふたつきごし》内証《ないしょ》で、もの置《おき》で皮を乾《ほ》したそうである。
 笑話の翌朝は、引続き快晴した。近山裏の谷間には、初茸《はつたけ》の残り、乾《から》びた占地茸《しめじ》もまだあるだろう、山へ行く浴客も少くなかった。
 お桂さんたちも、そぞろ歩行《ある》きした。掛稲《かけいね》に嫁菜の花、大根畑に霜の濡色も暖い。
 畑中の坂の中途から、巨刹《おおでら》の峰におわす大観音に詣でる広い道が、松の中を上《のぼ》りになる山懐《やまふところ》を高く蜒《うね》って、枯草葉の径《こみち》が細く分れて、立札の道しるべ。歓喜天御堂、と指《ゆびさ》して、……福徳を授け給う……と記してある。
「福徳って、お金ばかりじゃありませんわ。」
 欣七郎は朝飯《あさはん》前の道がものういと言うのに、ちょいと軽い小競合《こぜりあい》があったあとで、参詣《おまいり》の間を一人待つ事になった。
「ここを、……わきへ去《い》っては可厭《いや》ですよ……一人ですから。」
 お桂さんは勢《いきおい》よく乾いた草を分けて攀《よ》じ上った。欣七郎の目に、その姿が雑樹《ぞうき》に隠れた時、夫人の前には再びやや急な石段が顕《あら》われた。軽く喘《あえ》いで、それを上ると、小高い皿地の中窪みに、垣も、折戸もない、破屋《あばらや》が一軒あった。
 出た、山の端《は》に松が一樹。幹のやさしい、そこの見晴しで、ちょっと下に待つ人を見ようと思ったが、上って来た方は、紅甍《こうぼう》[#ルビの「こうぼう」は底本では「こうばう」]と粉壁《ふんぺき》と、そればかりで夫は見えない。あと三方はまばらな農家を一面の畑の中に、弘法大師[#「弘法大師」は底本では「引法大師」]奥の院、四十七町いろは道が見えて、向うの山の根を香都良川が光って流れる。わきへ引込んだ、あの、辻堂の小さく見える処まで、昨日、午《ひる》ごろ夫婦《ふたり》で歩行《ある》いた、――かえってそこに、欣七郎の中折帽が眺められるようである。

 ああ、今朝もそのままな、野道を挟んだ、飾竹に祭提灯の、稲田ずれに、さらさらちらちらと風に揺れる処で、欣七郎が巻煙草《まきたばこ》を出すと、燐寸《マッチ》を忘れた。……道の奥の方から、帽子も被《かぶ》らないで、土地のものらしい。霜げた若い男が、蝋燭《ろうそく》を一束買ったらしく、手にして来たので、湯治場の心安さ、遊山《ゆさん》気分で声を掛けた。
「ちょいと、燐寸はありませんか。」
 ぼんやり立停《たちどま》って、二人を熟《じっ》と視《み》て、
「はい、私《
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