の切《きれ》、色の白い細面《ほそおもて》、目に張《はり》のある、眉の優しい、純下町風俗のを、山が育てた白百合の精のように、袖に包んでいたのは言うまでもない。……
「……その大島屋の先《せん》の大きいおかみさんが、ごふびんに思召《おぼしめ》しましてな。……はい、ええ、右の小僧按摩を――小一《こいち》と申したでござりますが、本名で、まだ市名《いちな》でも、斎号でもござりません、……見た処が余り小《ちっ》こいので、お客様方には十六と申す事に、師匠も言いきけてはありますし、当人も、左様に人様には申しておりましたが、この川の下流の釜《かま》ヶ淵《ふち》――いえ、もし、渡月橋《とげつきょう》で見えます白糸の滝の下の……あれではござりません。もっとずッと下流になります。――その釜ヶ淵へ身を投げました時、――小一は二十《はたち》で、従って色気があったでござりますよ。」
「二十にならなくったって、色気の方は大丈夫あるよ。――私が手本だ。」
 と言って、肩を揉ませながら、快活に笑ったのは、川崎|欣七郎《きんしちろう》、お桂ちゃんの夫で、高等商業出の秀才で、銀行員のいい処、年は四十だが若々しい、年齢にちと相違はあるが、この縁組に申分はない。次の室《ま》つき井菊屋の奥、香都良川添《かつらがわぞい》の十畳に、もう床は並べて、膝まで沈むばかりの羽根毛《はね》蒲団《ぶとん》に、ふっくりと、たんぜんで寛《くつろ》いだ。……
 寝床を辷《すべ》って、窓下の紫檀《したん》の机に、うしろ向きで、紺地に茶の縞《しま》お召の袷羽織《あわせばおり》を、撫肩《なでがた》にぞろりと掛けて、道中の髪を解放《ときはな》し、あすあたりは髪結《かみゆい》が来ようという櫛巻《くしまき》が、房《ふっさ》りしながら、清らかな耳許《みみもと》に簪《かんざし》の珊瑚《さんご》が薄色に透通る。……男を知って二十四の、きじの雪が一層あくが抜けて色が白い。眉が意気で、口許に情が籠《こも》って、きりりとしながら、ちょっとお転婆に片褄《かたづま》の緋の紋縮緬《もんちりめん》の崩れた媚《なまめ》かしさは、田舎源氏の――名も通う――桂樹《かつらぎ》という風がある。
 お桂夫人は知らぬ顔して、間違って、愛読する……泉の作で「山吹」と云う、まがいものの戯曲を、軽い頬杖で読んでいた。
「御意で、へ、へ、へ、」
 と唯今《ただいま》の御前《ごぜん》のおおせに、恐入った体《てい》して、肩からずり下って、背中でお叩頭《じぎ》をして、ポンと浮上ったように顔を擡《もた》げて、鼻をひこひこと行《や》った。この謙斎坊さんは、座敷は暖かだし、精を張って、つかまったから、十月の末だと云うのに、むき身|絞《しぼり》の襦袢《じゅばん》、大肌脱《おおはだぬぎ》になっていて、綿八丈の襟の左右へ開《はだ》けた毛だらけの胸の下から、紐《ひも》のついた大蝦蟇口《おおがまぐち》を溢出《はみだ》させて、揉んでいる。
「で、旦那《だんな》、身投げがござりましてから、その釜ヶ淵……これはただ底が深いというだけの事でありましょうで、以来そこを、提灯《ちょうちん》ヶ淵――これは死にます時に、小一が冥途《めいど》を照しますつもりか、持っておりましたので、それに、夕顔ヶ淵……またこれは、その小按摩に様子が似ました処から。」
「いや、それは大したものだな。」
 くわっ、とただ口を開けて、横向きに、声は出さずに按摩が笑って、
「ところが、もし、顔が黄色膨れの頭でっかち、えらい出額《おでこ》で。」
「それじゃあ、夕顔の方で迷惑だろう。」
「御意で。」
 とまた一つ、ずり下りざまに叩頭《おじぎ》をして、
「でござりますから瓢箪淵《ひょうたんふち》とでもいたした方が可《よ》かろうかとも申します。小一の顔色《かおつき》が青瓢箪を俯向《うつむ》けにして、底を一つ叩いたような塩梅《あんばい》と、わしども家内なども申しますので、はい、背が低くって小児《こども》同然、それで、時々相修業に肩につかまらせた事もござりますが、手足は大人なみに出来ております。大《おおき》な日和下駄《ひよりげた》の傾《かし》いだのを引摺《ひきず》って、――まだ内弟子の小僧ゆえ、身分ではござりませんから羽織も着ませず……唯今頃はな、つんつるてんの、裾《すそ》のまき上った手織縞か何かで陰気な顔を、がっくりがっくりと、振り振り、(ぴい、ぷう。)と笛を吹いて、杖を突張《つっぱ》って流して歩行《ある》きますと、御存じのお客様は、あの小按摩の通る時は、どうやら毛の薄い頭の上を、不具《かたわ》の烏が一羽、お寺の山から出て附いて行《ゆ》くと申されましたもので。――心掛《ここころがけ》の可《よ》い、勉強家で、まあ、この湯治場は、お庇様《かげさま》とお出入《でいり》さきで稼ぎがつきます。流さずともでござりますが、何も修業と
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