、鯉の影が悠然と浮いて泳いで、見ぶつに交った。ひとりお桂さんの姿を、肩を、褄《つま》を、帯腰を、彩ったものであった。
この夫婦は――新婚旅行の意味でなく――四五年来、久しぶりに――一昨日温泉へ着いたばかりだが、既に一週間も以前から、今日の祝日の次第、献立|書《がき》が、処々《ところどころ》、紅《くれない》の二重圏点つきの比羅《びら》になって、辻々、塀、大寺の門、橋の欄干に顕《あら》われて、芸妓《げいしゃ》の屋台囃子《やたいばやし》とともに、最も注意を引いたのは、仮装行列の催《もよおし》であった。有志と、二重圏点、かさねて、飛入勝手次第として、祝賀委員が、審議の上、その仮装の優秀なるものには、三等まで賞金美景を呈すとしたのに、読者も更《あらた》めて御注意を願いたい。
だから、踊屋台の引いて帰る囃子の音に誘われて、お桂が欣七郎とともに町に出た時は、橋の上で弁慶に出会い、豆府屋から出る緋縅《ひおどし》の武者を見た。床屋の店に立掛《たちかか》ったのは五人男の随一人、だてにさした尺八に、雁《かり》がねと札を着けた。犬だって浮かれている。石垣下には、鶩《あひる》が、がいがいと鳴立てた、が、それはこの川に多い鶺鴒《せきれい》が、仮装したものではない。
泰西の夜会の例に見ても、由来仮装は夜のものであるらしい。委員と名のる、もの識《しり》が、そんな事は心得た。行列は午後五時よりと、比羅に認《したた》めてある。昼はかくれて、不思議な星のごとく、颯《さっ》と夜《よ》の幕を切って顕《あらわ》れる筈《はず》の処を、それらの英雄|侠客《きょうかく》は、髀肉《ひにく》の歎《たん》に堪えなかったに相違ない。かと思えば、桶屋《おけや》の息子の、竹を削って大桝形《おおますがた》に組みながら、せっせと小僧に手伝わして、しきりに紙を貼《は》っているのがある。通りがかりの馬方と問答する。「おいらは留《や》めようと思ったが、この景気じゃあ、とても引込《ひっこ》んでいられない。」「はあ、何に化けるね。」「凧《たこ》だ……黙っていてくれよ。おいらが身体《からだ》をそのまま大凧に張って飛歩行《とびある》くんだ。両方の耳にうなりをつけるぜ。」「魂消《たまげ》たの、一等賞ずらえ。」「黙っててくんろよ。」馬がヒーンと嘶《いなな》いた。この馬が迷惑した。のそりのそりと歩行《ある》き出すと、はじめ、出会ったのは緋縅の武
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