と成つて、天地とともに崩掛《くずれかか》らうとする前の夜《よる》、……風はよし、凪《なぎ》はよし……船出の祝ひに酒盛したあと、船中残らず、ぐつすりと寝込んで居た、仙台の小淵《こぶち》の港で――霜《しも》の月に独《ひと》り覚《さ》めた、年十九の孫一の目に――思ひも掛けない、艫《とも》の間《ま》の神龕《かみだな》の前に、凍《こお》つた竜宮の几帳《きちょう》と思ふ、白気《はっき》が一筋《ひとすじ》月に透いて、向うへ大波が畝《うね》るのが、累《かさな》つて凄《すご》く映る。其の蔭に、端麗《あでやか》さも端麗《あでやか》に、神々《こうごう》しさも神々しい、緋の袴《はかま》の姫が、お一方《ひとかた》、孫一を一目見なすつて、
 ――港で待つよ――
 と其の一言《ひとこと》。すらりと背後《うしろ》向かるゝ黒髪のたけ、帆柱《ほばしら》より長く靡《なび》くと思ふと、袴の裳《もすそ》が波を摺《す》つて、月の前を、さら/\と、かけ波の沫《しぶき》の玉を散らしながら、衝《つ》と港口《みなとぐち》へ飛んで消えるのを見ました……あつと思ふと夢は覚《さ》めたが、月明りに霜の薄煙《うすけぶ》りがあるばかり、船の中に、尊
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