か》つ天の星の如く定《きま》った軌道というべきものもないから、何処《どこ》で会おうかもしれない、ただほんの一瞬間の出来事と云って可《い》い。ですから何日《いつか》の何時頃、此処《ここ》で見たから、もう一度見たいといっても、そうは行《ゆ》かぬ。川の流《ながれ》は同じでも、今のは前刻《さっき》の水ではない。勿論《もちろん》この内にも、狐狸《こり》とか他の動物の仕業《しわざ》もあろうが、昔から言伝《いいつた》えの、例の逢魔《おうま》が時《とき》の、九時から十一時、それに丑満《うしみ》つというような嫌な時刻がある、この時刻になると、何だか、人間が居る世界へ、例の別世界の連中が、時々顔を出したがる。昔からこの刻限を利用して、魔の居るのを実験する、方法があると云ったようなことを過般《このあいだ》仲《なか》の町《ちょう》で怪談会の夜中に沼田《ぬまた》さんが話をされたのを、例の「膝摩《ひざさす》り」とか「本叩《ほんたた》き」といったもので。
「膝摩《ひざさす》り」というのは、丑満《うしみつ》頃、人が四人で、床の間なしの八畳座敷の四隅《よすみ》から、各《おのおの》一人ずつ同時に中央《まんなか》へ出て来て
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