一寸怪
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)別《わ》けて
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)因縁|談《ばなし》
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怪談の種類も色々あって、理由のある怪談と、理由のない怪談とに別《わ》けてみよう、理由のあるというのは、例えば、因縁|談《ばなし》、怨霊などという方で。後《あと》のは、天狗《てんぐ》、魔の仕業《しわざ》で、殆《ほとん》ど端睨《たんげい》すべからざるものを云う。これは北国辺《ほっこくへん》に多くて、関東には少ない様に思われる。
私は思うに、これは多分、この現世以外に、一つの別世界というような物があって、其処《そこ》には例の魔だの天狗《てんぐ》などという奴が居る、が偶々《たまたま》その連中が、吾々《われわれ》人間の出入《でいり》する道を通った時分に、人間の眼に映ずる。それは恰《あだか》も、彗星《ほうきぼし》が出るような具合に、往々《おうおう》にして、見える。が、彗星《ほうきぼし》なら、天文学者が既に何年目に見えると悟っているが、御連中《ごれんちゅう》になると、そうはゆかない。何日《いつ》何時《なんどき》か分らぬ。且《か》つ天の星の如く定《きま》った軌道というべきものもないから、何処《どこ》で会おうかもしれない、ただほんの一瞬間の出来事と云って可《い》い。ですから何日《いつか》の何時頃、此処《ここ》で見たから、もう一度見たいといっても、そうは行《ゆ》かぬ。川の流《ながれ》は同じでも、今のは前刻《さっき》の水ではない。勿論《もちろん》この内にも、狐狸《こり》とか他の動物の仕業《しわざ》もあろうが、昔から言伝《いいつた》えの、例の逢魔《おうま》が時《とき》の、九時から十一時、それに丑満《うしみ》つというような嫌な時刻がある、この時刻になると、何だか、人間が居る世界へ、例の別世界の連中が、時々顔を出したがる。昔からこの刻限を利用して、魔の居るのを実験する、方法があると云ったようなことを過般《このあいだ》仲《なか》の町《ちょう》で怪談会の夜中に沼田《ぬまた》さんが話をされたのを、例の「膝摩《ひざさす》り」とか「本叩《ほんたた》き」といったもので。
「膝摩《ひざさす》り」というのは、丑満《うしみつ》頃、人が四人で、床の間なしの八畳座敷の四隅《よすみ》から、各《おのおの》一人ずつ同時に中央《まんなか》へ出て来て、中央《まんなか》で四人出会ったところで、皆《みんな》がひったり座る、勿論《もちろん》室の内は燈《あかり》をつけず暗黒《まっくら》にしておく、其処《そこ》で先《ま》ず四人の内の一人が、次の人の名を呼んで、自分の手を、呼んだ人の膝へ置く、呼ばれた人は必ず、返事をして、また同じ方法で、次の人の膝へ手を置くという風にして、段々《だんだん》順を廻すと、恰度《ちょうど》その内に一人返事をしないで座っている人が一人増えるそうで。
「本叩き」というのは、これも同じく八畳の床の間なしの座敷を暗がりにして、二人が各《おのおの》手に一冊|宛《ずつ》本を持って向合《むかいあ》いの隅々《すみずみ》から一人|宛《ずつ》出て来て、中央《まんなか》で会ったところで、その本を持って、下の畳をパタパタ叩く、すると唯《ただ》二人で、叩く音が、当人は勿論《もちろん》、襖越《ふすまごし》に聞いている人にまで、何人で叩くのか、非常な多人数《たにんず》で叩いている音の様に聞《きこ》えると言います。
これで思出《おもいだ》したが、この魔のやることは、凡《すべ》て、笑声《わらいごえ》にしても、唯《ただ》一人で笑うのではなく、アハハハハハと恰《あだか》も数《す》百人の笑うかの如き響《ひびき》をするように思われる。
私が曾《かつ》て、逗子《ずし》に居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度《ちょうど》秋の中旬《はじめ》だった、当時田舎屋を借りて、家内と婢女《じょちゅう》と三人で居たが、家主《やぬし》はつい裏の農夫《ひゃくしょう》であった。或《ある》晩私は背戸《せど》の据《すえ》風呂から上って、椽側《えんがわ》を通って、直《す》ぐ傍《わき》の茶の間に居ると、台所を片着《かたづ》けた女中が一寸《ちょいと》家《うち》まで遣《や》ってくれと云って、挨拶をして出て行く、と入違《いれちが》いに家内は湯殿に行ったが、やがて「手桶が無い」という、私の入っていた時には、現在水が入ってあったものが無い道理はない、とやったが、実際見えないという。私も起《た》って行って見たが、全く何処《どこ》にも見えない、奇妙な事もあるものだと思ったが、何だか、嫌な気持のするので、何処《どこ》までも確《たしか》めてやろうと段々《だんだん》考えてみると、元来《もと》この手桶というは、私共が転居《ひっこ》して来た時、裏の家主《やぬし》で
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