貸してくれたものだから、もしやと思って、私は早速《さっそく》裏の家《うち》へ行って訊ねてみると、案の条、婆さんが黙って持って行ったので。その婆さんが湯殿へ来たのは、恰度《ちょうど》私が湯殿から、椽側《えんがわ》を通って茶の間へ入った頃で、足に草履《ぞうり》をはいていたから足音がしない、農夫《ひゃくしょう》婆さんだから力があるので、水の入っている手桶を、ざぶりとも言わせないで、その儘《まま》提《さ》げて、呑気《のんき》だから、自分の貸したもの故《ゆえ》、別に断らずして、黙って持って行ってしまったので、少しも不思議な事はないが、もしこれをよく確めずにおいたら、おかしな事に成《な》ろうと思う。こんな事でもその機会《きっかけ》がこんがらかると、非常な、不思議な現象が生ずる。がこれは決して前述べた魔の仕業《しわぎ》でも何でもない、ただ或る機会から生じた一つ不思議な談《はなし》。これから、談《はな》すのは例の理由のない方の不思議と云うやつ。
これも、私が逗子に居た時分に、つい近所の婦人から聞いた談《はなし》、その婦人がまだ娘の時分に、自分の家《うち》にあったと云うのだ。静岡《しずおか》の何でも町端《まちはず》れが、その人の父が其処《そこ》の屋敷に住んだところ、半年《はんねん》ばかりというものは不思議な出来事が続け様《さま》で、発端は五月頃、庭へ五六輪、菖蒲《あやめ》が咲《さい》ていたそうでその花を一朝《ひとあさ》奇麗にもぎって、戸棚の夜着《やぎ》の中に入れてあった。初めは何か子供の悪戯《いたずら》だろうくらいにして、別に気にもかけなかったが、段々《だんだん》と悪戯《いたずら》が嵩《こう》じて、来客の下駄や傘《からかさ》がなくなる、主人が役所へ出懸《でか》けに机の上へ紙入《かみいれ》を置いて、後向《うしろむき》に洋服を着ている間《ま》に、それが無くなる、或《ある》時は机の上に置いた英和辞典を縦横《たてよこ》に絶切《たちき》って、それにインキで、輪のようなものを、目茶苦茶に悪書《あくがき》をしてある。主人も、非常に閉口したので、警察署へも依頼した、警察署の連中は、多分その家《うち》に七歳《ななつ》になる男の児《こ》があったが、それの行為《しわざ》だろうと、或《ある》時その児を紐で、母親に附着《くっつ》けておいたそうだけれども、悪戯《いたずら》は依然止まぬ。就中《なかんずく》、恐ろしかったというのは、或《ある》晩|多勢《おおぜい》の人が来て、雨落《あまお》ちの傍《そば》の大きな水瓶《みずがめ》へ種々《いろいろ》な物品《もの》を入れて、その上に多勢《おおぜい》かかって、大石を持って来て乗せておいて、最早《もう》これなら、奴も動かせまいと云っていると、その言葉の切れぬ内に、グワラリと、非常な響《ひびき》をして、その石を水瓶《みずがめ》から、外へ落したので、皆《みんな》が顔色を変えたと云う事。一時《あるとき》などは椽側《えんがわ》に何だか解らぬが動物の足跡が付いているが、それなんぞしらべて丁度《ちょうど》障子の一小間《ひとこま》の間を出入《ではいり》するほどな動物だろうという事だけは推測出来たが、誰《たれ》しも、遂にその姿を発見したものはない。終《つい》には洋燈《らんぷ》を戸棚へ入れるというような、危険|千万《せんばん》な事になったので、転居をするような仕末、一時《いちじ》は非常な評判になって、家《うち》の前は、見物の群集で雑沓《ざっとう》して、売物店《うりものだな》まで出たとの事。
これと似た談《はなし》が房州《ぼうしゅう》にもある、何でも白浜《しらはま》の近方《きんぼう》だったが、農夫以前の話とおなじような事がはじまった、家《うち》が、丁度《ちょうど》、谷間のようなところにあるので、その両方の山の上に、猟夫《かりゅうど》を頼んで見張《みはり》をしたが、何も見えないが、奇妙に夜に入《い》るとただ猟夫《かりゅうど》がつれている、犬ばかりには見えるものか、非常に吠えて廻ったとの事、この家に一人、子守娘が居て、その娘は、何だか変な動物《もの》が時々来るよといっておったそうである。
同《おんな》じ様に、越前国丹生郡天津村《えちぜんのくににゅうぐんあまつむら》の風巻《かざまき》という処に善照寺《ぜんしょうじ》という寺があって此処《ここ》へある時村のものが、貉《むじな》を生取《いけど》って来て殺したそうだが、丁度《ちょうど》その日から、寺の諸所《しょしょ》へ、火が燃え上るので、住職も非常に困って檀家《だんか》を狩集《かりあつ》めて見張《みはる》となると、見ている前で、障子がめらめらと、燃える、ひゃあ、と飛《とび》ついて消す間に、梁《うつばり》へ炎が絡む、ソレ、と云う内羽目板から火を吐出《ふきだ》す、凡《およ》そ七日ばかりの間、昼夜|詰切《つめき》りで寐《
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