時この二人は温泉街の夜店飾りの濡灯色と、一寸野道で途絶えても殆ど町續きに齊しい停車場あたりの靄の燈を望んだのを、番傘を敲かぬばかり糸七が反對に、もの寂しいいろはの碑を、辿つたのであつたから。
 それでは、もう一方奧へ入つてから其の土橋に向ふとすると、餘程の畷を拔けなければ、車を返す足場がない。
 三寶ヶ辻で下りたのである。
「あら、こんな處で。」
「番傘の情人に逢はせるんだよ。」
「情人ツて?番傘の。」
「蛙だよ、いゝ聲で一面に鳴いてるぢやあないか。」
「まあ、風流。」
 さ、さ、その風流と言はれるのが可厭さに、番傘を道具に使つた。第一、雨の中に、立つた形は、うしろの山際に柳はないが、小野道風何とか硯を惡く趣向にしたちんどん屋の稽古をすると思はれては、いひやうは些とぞんざいだが……ごめんを被つて……癪に障る。
 糸七は小兒のうちから、妙に、見ることも、聞くことも、ぞつこん蛙といへば好きなのである。小學最初級の友だちの、――現今は貴族院議員なり人の知つた商豪だが――邸が侍町にあつて、背戸の蓮池で飯粒で蛙を釣る、釣れるとも、目をぱち/\とやつて、腹をぶく/\と膨ます、と云ふのを聞くと、氏神の境内まで飛ばないと、蜻蛉さへ易くは見られない、雪國の城下でもせゝこましい町家に育つたものは、瑠璃の丁斑魚、珊瑚の鯉、五色の鮒が泳ぐとも聞かないのに、池を蓬莱の嶋に望んで、青蛙を釣る友だちは、寶貝のかくれ蓑を着て、白銀の糸を操るかと思つた。
 學問半端にして、親がなくなつて、東京から一度田舍へ返つて、朝夕のたつきにも途方に暮れた事がある。
「あゝ、よく鳴いてるなあ。」――
 城下優しい大川の土手の……松に添ふ片側町の裏へ入ると廢敗した潰れ屋のあとが町中に、棄苗の水田に成つた、その田の名には稱へないが、其處をこだまの小路といふ、小玉といふのゝ家跡か、白晝も寂然として居て谺をするか、濁つて呼ぶから女の名ではあるまいが、おなじ名のきれいな、あはれな婦がこゝで自殺をしたと傳へて、のち/\の今も尚ほ、その手提灯が闇夜に往來をするといつた、螢がまた、こゝに不思議に夥多しい。
 が、提灯の風説に消されて見る人の影も映さぬ。勿論、蛙なぞ聞きに出掛けるものはない。……世の暗さは五月闇さながらで、腹のすいた少年の身にして夜の灯でも繁華な巷は目がくらむで痩脛も捩れるから、こんな處を便つては立樹に凭れて、固か
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