とかかった、江戸紫の襟に映る、雪のような項《うなじ》を此方《こなた》に、背向《うしろむき》に火桶《ひおけ》に凭掛《よりかか》っていたが、軽《かろ》く振向き、
「ああ、もう出来てるよ。」
「へい。」と、その意を得ない様子で、三指《みつゆび》のまま頭《つむり》を上げた。
 事もなげに、
「床なんだろう。」
「いいえ、お支度でございますが。」
「御飯かい。」
「はい。」
「そりゃお前《まい》疾《とう》に済んだよ。」と此方《こなた》も案外な風情、余《あまり》の取込《とりこみ》にもの忘れした、旅籠屋《はたごや》の混雑が、おかしそうに、莞爾《にっこり》する。
 女中はまた遊ばれると思ったか、同じく笑い、
「奥様、あの唯今《ただいま》のお客様のでございます。」
「お客だい、誰も来やしないよ、お前《まい》。」と斜めに肩ごしに見遣《みやっ》たまま打棄《うっちゃ》ったようにもののすッきり。かえす言《ことば》もなく、
「おや、おや。」と口の中《うち》、女中は極《きまり》の悪そうに顔を赤らめながら、変な顔をして座中を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》すと、誰も居ないで寂《しん》として、釜《か
前へ 次へ
全48ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング