だませば小児衆《こどもしゅ》も合点せず。伊勢は七度《ななたび》よいところ、いざ御案内者で客を招けば、おらあ熊野へも三度目《みたびめ》じゃと、いわれてお供に早がわり、いそがしかりける世渡りなり。
  明治三十八乙巳年十月吉日
[#地から4字上げ]鏡花
[#改ページ]

       一

「はい、貴客《あなた》もしお熱いのを、お一つ召上りませぬか、何ぞお食《あが》りなされて下さりまし。」
 伊勢国|古市《ふるいち》から内宮《ないぐう》へ、ここぞ相《あい》の山の此方《こなた》に、灯《ともしび》の淋しい茶店。名物|赤福餅《あかふくもち》の旗、如月《きさらぎ》のはじめ三日の夜嵐に、はたはたと軒を揺《ゆす》り、じりじりと油が減って、早や十二時に垂《なんなん》とするのに、客はまだ帰りそうにもしないから、その年紀頃《としごろ》といい、容子《ようす》といい、今時の品の可《い》い学生風、しかも口数を利かぬ青年なり、とても話対手《はなしあいて》にはなるまい、またしないであろうと、断念《あきら》めていた婆々《ばば》が、堪《たま》り兼ねてまず物優しく言葉をかけた。
 宵から、灯も人声も、往来《ゆきき》の脚も、
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