るが、この寒いに、戸外《おもて》からお入りなさったきり、洒落《しゃれ》にかくれんぼを遊ばす陽気ではござりません。殊に靴までお隠しなさりますなぞは、ちと手重《ておも》過ぎまするで、どうも変でござりまするが、お年紀頃《としごろ》、御容子《ごようす》は、先刻《さっき》申上げましたので、その方に相違ござりませぬか、お綺麗な、品の可《い》い、面長《おもなが》な。」
「全く、そう。」
「では、その方は、さような御串戯《ごじょうだん》をなさる御人体《ごじんてい》でござりますか、立花様とおっしゃるのは。」
「いいえ、大人《おとなし》い、沢山《たんと》口もきかない人、そして病人なの。」
 そりゃこそと番頭。
「ええ。」
「もう、大したことはないんだけれど、一時《ひとしきり》は大病でね、内の病院に入っていたんです。東京で私が姉妹《きょうだい》のようにした、さるお嬢さんの従兄子《いとこ》でね、あの美術、何、彫刻師《ほりものし》なの。国々を修行に歩行《ある》いている内、養老の滝を見た帰りがけに煩って、宅で養生をしたんです。二月ばかり前から、大層、よくなったには、よくなったんだけれど、まだ十分でないッていうのに、肯《き》かないでまた旅へ出掛けたの。
 私が今日こちらへ泊って、翌朝《あした》お参《まいり》をするッてことは、かねがね話をしていたから、大方|旅行先《たびさき》から落合って来たことと思ったのに、まあ、お前、どうしたというのだろうね。」
「はッ。」
 というと肩をすぼめて首《こうべ》を垂れ、
「これは、もし、旅で御病気かも知れませぬ。いえ、別に、貴女様《あなたさま》お身体《からだ》に仔細《しさい》はござりませぬが、よくそうしたことがあるものにござります。はい、何、もうお見上げ申しましたばかりでも、奥方様、お身のまわりへは、寒い風だとて寄ることではござりませぬが、御帰宅の後はおこころにかけられて、さきざきお尋ね遊ばしてお上げなされまし、これはその立花様とおっしゃる方が、親御、御兄弟より貴女様を便りに遊ばしていらっしゃるに相違ござりませぬ。」
 夫人はこれを聞くうちに、差俯向《さしうつむ》いて、両方引合せた袖口《そでくち》の、襦袢《じゅばん》の花に見惚《みと》れるがごとく、打傾いて伏目《ふしめ》でいた。しばらくして[#「しばらくして」は底本では「しばらしくて」]、さも身に染みたように、肩を震わすと、後毛《おくれげ》がまたはらはら。
「寒くなった、私、もう寝るわ。」
「御寝《ぎょし》なります、へい、唯今《ただいま》女中《おんな》を寄越しまして、お枕頭《まくらもと》もまた、」
「いいえ、煙草《たばこ》は飲まない、お火なんか沢山。」
「でも、その、」
「あの、しかしね、間違えて外の座敷へでも行っていらっしゃりはしないか、気をつけておくれ。」
「それはもう、きっと、まだ、方々見させてさえござりまする。」
「そうかい、此家《うち》は広いから、また迷児《まいご》にでもなってると悪い、可愛い坊ちゃんなんだから。」とぴたりと帯に手を当てると、帯しめの金金具《きんかなぐ》が、指の中でパチリと鳴る。
 先刻《さっき》から、ぞくぞくして、ちりけ元は水のような老番頭、思いの外、女客の恐れぬを見て、この分なら、お次へ四天王にも及ぶまいと、
「ええ、さようならばお静《しずか》に。」
「ああ、御苦労でした。」と、いってすッと立つ、汽車の中からそのままの下じめがゆるんだか、絹足袋の先へ長襦袢、右の褄《つま》がぞろりと落ちた。
「お手水《ちょうず》。」
「いいえ、寝るの。」
「はッ。」と、いうと、腰を上げざまに襖《ふすま》を一枚、直ぐに縁側へ辷《すべ》って出ると、呼吸《いき》を凝《こら》して二人ばかり居た、恐《こわ》いもの見たさの徒《てあい》、ばたり、ソッと退《の》く気勢《けはい》。
「や。」という番頭の声に連れて、足も裾《すそ》も巴《ともえ》に入乱るるかのごとく、廊下を彼方《あなた》へ、隔ってまた跫音《あしおと》、次第に跫音。この汐《しお》に、そこら中の人声を浚《さら》えて退《の》いて、果《はて》は遥《はるか》な戸外《おもて》二階の突外《とっぱず》れの角あたりと覚しかった、三味線《さみせん》の音《ね》がハタと留《や》んだ。
 聞澄《ききすま》して、里見夫人、裳《もすそ》を前へ捌《さば》こうとすると、うっかりした褄がかかって、引留められたようによろめいたが、衣裄《いこう》に手をかけ、四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》し、向うの押入をじっと見る、瞼《まぶた》に颯《さっ》と薄紅梅。

       九

 煙草盆《たばこぼん》、枕《まくら》、火鉢、座蒲団《ざぶとん》も五六枚。
(これは物置だ。)と立花は心付いた。
 はじめは押入と、しかしそれにしては居周
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