めた》からず、朧夜《おぼろよ》かと思えば暗く、東雲《しののめ》かと見れば陰々たる中に、煙草盆、枕、火鉢、炬燵櫓《こたつやぐら》の形など左右、二列《ふたなら》びに、不揃《ぶぞろ》いに、沢庵《たくあん》の樽《たる》もあり、石臼《いしうす》もあり、俎板《まないた》あり、灯のない行燈《あんどう》も三ツ四ツ、あたかも人のない道具市。
しかもその火鉢といわず、臼といわず、枕といわず、行燈といわず、一斉に絶えず微《かすか》に揺《ゆら》いで、国が洪水に滅ぶる時、呼吸《いき》のあるは悉《ことごと》く死して、かかる者のみ漾《ただよ》う風情、ただソヨとの風もないのである。
十
その中《うち》に最も人間に近く、頼母《たのも》しく、且つ奇異に感じられたのは、唐櫃《からびつ》の上に、一個八角時計の、仰向《あおむ》けに乗っていた事であった。立花は夢心地にも、何等か意味ありげに見て取ったので、つかつかと靴を近《ちかづ》けて差覗《さしのぞ》いたが、ものの影を見るごとき、四辺《あたり》は、針の長短と位地を分ち得るまでではないのに、判然《はっきり》と時間が分った。しかも九時半の処を指して、時計は死んでいるのであるが、鮮明《あざやか》にその数字さえ算《かぞ》えられたのは、一点、蛍火《ほたるび》の薄く、そして瞬《またたき》をせぬのがあって、胸のあたりから、斜《ななめ》に影を宿したためで。
手を当てると冷《つめた》かった、光が隠れて、掌《たなそこ》に包まれたのは襟飾《えりかざり》の小さな宝石、時に別に手首を伝い、雪のカウスに、ちらちらと樹《こ》の間から射《さ》す月の影、露の溢《こぼ》れたかと輝いたのは、蓋《けだ》し手釦《てぼたん》の玉である。不思議と左を見詰めると、この飾もまた、光を放って、腕《かいな》を開くと胸がまた晃《きらめ》きはじめた。
この光、ただに身に添うばかりでなく、土に砕け、宙に飛んで、翠《みどり》の蝶《ちよう》の舞うばかり、目に遮るものは、臼《うす》も、桶《おけ》も、皆これ青貝摺《あおがいずり》の器《うつわ》に斉《ひとし》い。
一足進むと、歩くに連れ、身の動くに従うて、颯《さっ》と揺れ、溌《ぱっ》と散って、星一ツ一ツ鳴るかとばかり、白銀《しろがね》黄金《こがね》、水晶、珊瑚珠《さんごじゅ》、透間《すきま》もなく鎧《よろ》うたるが、月に照添うに露|違《たが》わず、され
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