を。
何《なん》となくぼんやりして、ああ、家も、路《みち》も、寺も、竹藪《たけやぶ》を漏る蒼空《あおぞら》ながら、地《つち》の底の世にもなりはせずや、連《つれ》は浴衣の染色《そめいろ》も、浅き紫陽花《あじさい》の花になって、小溝《こみぞ》の暗《やみ》に俤《おもかげ》のみ。我はこのまま石になって、と気の遠くなった時、はっと足が出て、風が出て、婦人《おんな》は軒を離れて出た。
小走りに急いで来る、青葉の中に寄る浪のはらはらと爪尖《つまさき》白く、濃い黒髪の房《ふさ》やかな双の鬢《びんづら》、浅葱《あさぎ》の紐《ひも》に結び果てず、海水帽を絞って被《かぶ》った、豊《ゆたか》な頬《ほお》に艶《つや》やかに靡《なび》いて、色の白いが薄化粧。水色縮緬《みずいろちりめん》の蹴出《けだし》の褄《つま》、はらはら蓮《はちす》の莟《つぼみ》を捌《さば》いて、素足ながら清らかに、草履ばきの埃《ほこり》も立たず、急いで迎えた少年に、ばッたりと藪の前。
「叔母さん、」
と声をかけて、と見るとこれが音に聞えた、燃《もゆ》るような朱の唇、ものいいたさを先んじられて紅梅の花|揺《ゆら》ぐよう。黒目勝《くろめがち》の清《すず》しやかに、美しくすなおな眉の、濃きにや過ぐると煙ったのは、五日月《いつかづき》に青柳《あおやぎ》の影やや深き趣あり。浦子というは二十七。
豪商|狭島《さじま》の令室で、銑太郎には叔母に当る。
この路を去る十二三町、停車場|寄《より》の海岸に、石垣高く松を繞《めぐ》らし、廊下で繋《つな》いで三棟《みむね》に分けた、門には新築の長屋があって、手車の車夫の控える身上《しんしょう》。
裳《もすそ》を厭《いと》う砂ならば路に黄金《こがね》を敷きもせん、空色の洋服の褄を取った姿さえ、身にかなえば唐《から》めかで、羽衣着たりと持て囃《はや》すを、白襟で襲衣《かさね》の折から、羅《うすもの》に綾《あや》の帯の時、湯上りの白粉《おしろい》に扱帯《しごき》は何というやらん。この人のためならば、このあたりの浜の名も、狭島が浦と称《とな》えつびょう、リボンかけたる、笄《こうがい》したる、夏の女の多い中に、海第一と聞えた美女《たおやめ》。
帽子の裡《うち》の日の蔭に、長いまつげのせいならず、甥《おい》を見た目に冴《さえ》がなく、顔の色も薄く曇って、
「銑さん。」
とばかり云った、浴衣の胸は呼吸《いき》ぜわしい。
「どうしたんです、何を買っていらしったんです。吃驚《びっくり》するほど長かった。」
打見《うちみ》に何の仔細《しさい》はなきが、物怖《ものおじ》したらしい叔母の状《さま》を、たかだか例の毛虫だろう、と笑いながら言う顔を、情《なさけ》らしく熟《じっ》と見て、
「まあ、呑気《のんき》らしい、早附木《マッチ》を取って上げたんじゃありませんか。」
はじめて、ほッとした様子。
「頂戴! いつかの靴以来です。こうは叔母さんでなくッちゃ出来ない事です。僕もそうだろうと思ったんです。」
「そうだろうじゃありませんわ。」
「じゃ、早附木ではないんですか。」
三
「いいえ、銑さんが煙草《たばこ》を出すと、早附木《マッチ》がないから、打棄《うっちゃ》っておくと、またいつものように、煙草には思い遣《や》りがない、監督のようだなんて云うだろうと思って、気を利かして、ちょうど、あの店で、」
と身を横に、踵《かかと》を浮かして、恐《こわ》いもののように振返って、
「見附かったからね、黙って買って上げようと思って入ったんですがね、お庇《かげ》で大変な思いをしたんですよ。ああ、恐かった。」
とそのままには足も進まず、がッかりしたような風情である。
「何が、叔母さん。この日中《ひなか》に何が恐いんです。大方また毛虫でしょう、大丈夫、毛虫は追駈《おっか》けては来ませんから。」
「毛虫どころじゃアありません。」
と浦子は後《うしろ》見らるる状《さま》。声も低う、
「銑さん、よっぽどの間だったでしょう。」
「ざッと一時間……」
半分は懸直《かけね》だったのに、夫人はかえってさもありそうに、
「そうでしたかねえ、私はもっとかと思ったくらい。いつ、店を出られるだろう、と心細いッたらなかったよ。」
「なぜ、どうしたんですね、一体。」
「まあ、そろそろ歩行《ある》きましょう。何だか気草臥《きくたび》れでもしたようで、頭も脚もふらふらします。」
歩を移すのに引添うて、身体《からだ》で庇《かば》うがごとくにしつつ、
「ほんとに驚いたんですか。そういえば、顔の色もよくないようですよ。」
「そうでしょう、悚然《ぞっ》として、未《いま》だに寒気がしますもの。」
と肩を窄《すぼ》めて俯向《うつむ》いた、海水帽も前下り、頸《うなじ》白く悄《しお》れて連立つ。
少年は顔
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