よ。
 判りましたか、私です。
 何も恥かしい事はありません、ちっとも極《きま》りの悪いことはありませんです。しっかりなさい。
 御覧なさい、誰も居ないです、ただ私一人です。鳥山たった一人、他《ほか》には誰も居《お》らんですから。」
 海の方を背《そびら》にして安からぬ状《さま》に附添った、廉平の足許に、見得もなく腰を落し、裳《もすそ》を投げて崩折《くずお》れつつ、両袖に面《おもて》を蔽《おお》うて、ひたと打泣くのは夫人であった。
「ほんとうに夫人《おくさん》、気を落着けて下さらんでは不可《いけ》ません。突然《いきなり》海へ飛込もうとなすったりなんぞして、串戯《じょうだん》ではない。ええ、夫人《おくさん》、心が確《たしか》になったですか。」
 声にばかり力を籠《こ》めて、どうしようにも先は婦人《おんな》、ひとえに目を見据えて言うのみであった。
 風そよそよと呼吸《いき》するよう、すすりなきの袂《たもと》が揺れた。浦子は涙の声の下、
「先生、」と幽《かすか》にいう。
「はあ、はあ、」
 と、纔《わず》かに便《たより》を得たらしく、我を忘れて擦り寄った。
「私《わ》、私は、もう死んでしまいたいのでございます。」
 わッとまた忍び音《ね》に、身悶《みもだ》えして突伏すのである。
「なぜですか、夫人《おくさん》、まだ、どうかしておいでなさる、ちゃんとなさらなくッては不可《いか》んですよ。」
「でも、貴下《あなた》、私は、もう……」
「はあ、どうなすった、どんなお心持なんですか。」
「先生、」
「はあ、どうですな。」
「私が、あの、海へ入って死のうといたしましたのより、貴下《あなた》は、もっとお驚きなさいました事がございましょう。」
「……………………」
 何と言おうと、黙って唾《つ》を呑《の》む。
「私が、私が、こんな処に船の中に、寝て、寝て、」
 と泣いじゃくりして、
「寝かされておりましたのに、なお吃驚《びっくり》なさいましてしょうねえ、貴下。」
「……ですが、それは、しかし……」とばかり、廉平は言うべき術《すべ》を知らなかった
「先生、」
 これぎり、声の出ない人になろうも知れず、と手に汗を握ったのが、我を呼ばれたので、力を得て、耳を傾け、顔を寄せて、
「は、」
「ここは、どこでございます。」
「ここですか、ここは、一つ目の浜を出端《ではず》れた、崖下の突端《とっぱず
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