うちッと上手な処が見せてもらいたいな。
 どうじゃ、ずッと漕げるか。そら、あの、そら巌のもっとさきへ、海の真中《まんなか》まで漕いで行《ゆ》けるか、どうじゃろうな。」
 寄居虫《やどかり》で釣る小鰒《こふぐ》ほどには、こんな伯父さんに馴染《なじみ》のない、人馴れぬ里の児は、目を光らすのみ、返事はしないが、年紀上《としうえ》なのが、艪《ろ》の手を止めつつ、けろりで、合点の目色《めつき》をする。
「漕げる? むむ、漕げる! 豪《えら》いな、漕いで見せな/\。伯父さんが、また褒美をやるわ。
 いや、親仁《おやじ》、何よ、お前の父《とっ》さんか、父爺《とっさん》には黙ってよ、父爺に肯《き》くと、危いとか悪戯《いたずら》をするなとか、何とか言って叱られら。そら、な、可《い》いか、黙って黙って。」
 というと、また合点《がってん》々々。よい、と圧《お》した小腕ながら艪を圧す精巧な昆倫奴《くろんぼ》の器械のよう、シッと一声飛ぶに似たり。疾《はや》い事、但《ただ》し揺れる事、中に乗った幼い方は、アハハアハハ、と笑って跳ねる。
「豪いぞ、豪いぞ。」
 というのも憚《はばか》り、たださしまねいて褒めそやした。小船は見る見る廉平の高くあげた手の指を離れて、岩がくれにやがてただ雲をこぼれた点となンぬ。
 親船は他愛がなかった。
 廉平は急ぎ足に取って返して、また丘の根の巌を越して、苫船《とまぶね》に立寄って、此方《こなた》の船舷《ふなばた》を横に伝うて、二三度、同じ処を行ったり、来たり。
 中ごろで、踞《しゃが》んで畚《びく》の陰にかくれたと思うと、また突立《つった》って、端の方から苫を撫《な》でたり、上からそっと叩きなどしたが、更にあちこちを※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》して、ぐるりと舳《へさき》の方へ廻ったと思うと、向うの舷《ふなばた》の陰になった。
 苫がばらばらと煽《あお》ったが、「ああ」と息の下に叫ぶ声。藁《わら》を分けた艶《えん》なる片袖、浅葱《あさぎ》の褄《つま》が船からこぼれて、その浴衣の染《そめ》、その扱帯《しごき》、その黒髪も、その手足も、ちぎれちぎれになったかと、砂に倒れた婦人《おんな》の姿。

       二十四

「気を静めて、夫人《おくさん》、しっかりしなければ不可《いけ》ません。落着いて、可《い》いですか。心を確《たしか》にお持ちなさい
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