事いの。
少《わか》い身そらに、御奇特な、たとえ御自分の心からではないとして、その先生様の思召《おぼしめし》に嬉し喜んで従わせえましたのが、はや菩薩の御弟子《みでし》でましますぞいの。
七歳の竜女とやらじゃ。
結縁《けちえん》しょう。年をとると気忙《きぜわ》しゅうて、片時もこうしてはおられぬわいの、はやくその美しいお姿を拝もうと思うての。それで、はい、お婆さん、えッちらえッちら出て来たのじゃ。」
「おう、されば、これから二つ目へおざるかや。」
「さればいの、行くわいの。」
「ござれござれ。私《わし》も店をかたづけたら、路ばたへ出て、その奥様の、帰らしゃますお顔を拝もうぞいの。」
赤目の嫗《おうな》は自から深く打頷《うちうなず》いた。
十二
時に色の青い銀の目の嫗《おうな》は、対手《あいて》の頤《おとがい》につれて、片がりながら、さそわれたように頷《うなず》いたが、肩を曲げたなり手を腰に組んだまま、足をやや横ざまに左へ向けた。
「帰途《かえり》のほどは宵月《よいづき》じゃ、ちらりとしたらお姿を見はずすまいぞや。かぶりものの中、気をつけさっしゃれ。お方くらい、美しい、紅《べに》のついた唇は少ないとの。薄化粧に変りはのうても、膚《はだ》の白いがその人じゃ、浜方じゃで紛《まぎ》れはないぞの、可《よ》いか、お婆さん、そんなら私《わし》は行くわいの。」
「茶一つ参らぬか、まあ可《い》いで。」
「預けましょ。」
「これは麁末《そまつ》なや。」
「お雑作でござりました。」
と斉《ひと》しく前へ傾きながら、腰に手を据えて、てくてくと片足ずつ、右を左へ、左を右へ、一ツずつ蹈《ふ》んで五足《いつあし》六足《むあし》。
「ああ、これな、これな。」
と廂《ひさし》の夕日に手を上げて、たそがれかかる姿を呼べば、蘆《あし》を裾《すそ》なる背影《うしろかげ》。
「おい、」とのみ、見も返らず、ハタと留まって、打傾いた、耳をそのまま言《ことば》を待つ。
「主《ぬし》、今のことをの、坂下の姉《あね》さまにも知らしてやらしゃれ、さだめし、あの児《こ》も拝みたかろ。」
聞きつけて、件《くだん》の嫗、ぶるぶると頭《かぶり》を掉《ふ》った。
「むんにゃよ、年紀《とし》が上だけに、姉《あね》さまは御生《ごしょう》のことは抜からぬぞの。八丈ヶ島に鐘が鳴っても、うとい耳に聞く人じゃ。
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