、誰《たれ》かこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふものにあらずして、寧《むし》ろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人《ごじん》は渠《かれ》を愛すること能《あた》はず、否《いな》愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪《はくだつ》せむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。
 古来いふ佳人は薄命なり、と、蓋《けだ》し社会が渠をして薄命ならしむるのみ。婚姻てふものだになかりせば、何人《なんら》の佳人か薄命なるべき。愛に於ける一切の、葛藤《かつとう》、紛紜《ふんうん》、失望、自殺、疾病《しつぺい》等あらゆる恐るべき熟字は皆婚姻のあるに因りて生ずる処の結果ならずや。
 妻なく、夫なく、一般の男女は皆たゞ男女なりと仮定せよ。愛に対する道徳の罪人は那辺《なへん》にか出来《いできた》らむ、女子は情《じやう》のために其夫を毒殺するの要なきなり。男子は愛のために密通することを要せざるなり。否、たゞに要せざるのみならず、爾《しか》き不快なる文字《もんじ》はこれを愛の字典の何ペエジに求む
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