他人に因りて左右せられ、是非せられ、猶《なほ》且《か》つ支配さるゝものたり。但《たゞ》愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。故《ゆゑ》に愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜んで、甘《あまん》じて、これを享《う》く。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦《かんなんしんく》といふもの、皆我を我としたる我を以《もつ》て、他に――社会に――対するより起る処の怨言《ゑんげん》のみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。
 情死、駈落《かけおち》、勘当《かんだう》等、これ皆愛の分弁たり。すなはち其人のために喜び、其人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり。但社会のためには歎ずべきのみ。独《ひと》り婚礼に至りては、儀式上、文字上《もんじじやう》、別に何等の愛ありて存するにあらず。唯《たゞ》男女相会して、粛然と杯《さかづき》を巡《めぐ》らすに過ぎず。人の未《いま》だ結婚せざるや、愛は自由なり。諺《ことわざ》に曰く「恋に上下の隔《へだて》なし」と。然り、何人《なんぴと》が何人に恋するも
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