首洗《くびあらい》の池も同じだね。」
「ええ、縁起でもない、旦那さん。」
「ま、姦通《まおとこ》め。ううむ、おどれ等。」
「北国一だ。……危《あぶね》えよ。」
 殺した声と、呻《うめ》く声で、どたばた、どしんと音がすると、万歳と、向《むこう》二階で喝采《やんや》、ともろ声に喚《わめ》いたのとほとんど一所に、赤い電燈が、蒟蒻《こんにゃく》のようにぶるぶると震えて点《つ》いた。

       七

 小春の身を、背に庇《かば》って立った教授が、見ると、繻子《しゅす》の黒足袋の鼻緒ずれに破れた奴《やつ》を、ばたばたと空に撥《は》ねる、治兵衛坊主を真俯向《まうつむ》けに、押伏せて、お光が赤蕪《あかかぶ》のような膝をはだけて、のしかかっているのである。
「危い――刃ものを持ってるぞ。」
 絨毯《じゅうたん》を縫いながら、治兵衛の手の大小刀《おおナイフ》が、しかし赤黒い電燈に、錆蜈蚣《さびむかで》のように蠢《うごめ》くのを、事ともしないで、
「何が、犬にも牙《きば》がありゃ、牛にも角があるだあね。こんな人間の刃ものなんぞ、どうするかね。この馬鹿野郎。それでも私が来ねえと、大事なお客さんに怪我をさ
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