んだ、が。――やがて近江屋へ帰って、敷石を奥へ入ると、酒の空樽《あきだる》、漬もの桶《おけ》などがはみ出した、物置の戸口に、石屋が居て、コトコトと石を切る音が、先刻期待した小鳥の骨を敲《たた》くのと同一であった。
「――涙もこれだ。」
 と教授は思わず苦笑して、
「しかし、その方が僥倖《しあわせ》だ。……」
 今度は座敷に入って、まだ坐るか坐らないに、金屏風の上から、ひょいと顔が出て、「腹《おなか》が空いたろがね。」と言うと、つかつかと、入って来たのが、ここに居るこの女中で。小脇に威勢よく引抱《ひっかか》えた黒塗《くろぬり》の飯櫃《めしびつ》を、客の膝の前へストンと置くと、一歩《ひとあし》すさったままで、突立《つった》って、熟《じっ》と顔を瞰下《みおろ》すから、この時も吃驚《びっくり》した目を遣ると、両手を引込めた布子の袖を、上下に、ひょこひょことゆさぶりながら、「給仕をするかね、」と言ったのである。
 教授はあきらめて落着いて、
「おいおいどうしてくれるんだ――給仕にも何にもまだ膳が来ないではないか。」
「あッそうだ。」
 と慌てて片足を挙げたと思うと、下して片足をまた上げたり、下げ
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