お花見雜感
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)彼地《あちら》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)全體|彼地《あちら》では
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から6字上げ]明治四十三年四月
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)つい/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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四五年といふもの逗子の方へ行つてゐたので、お花見には御無沙汰した。全體|彼地《あちら》では汐風が吹くせゐか木が皆小さくて稀に二三株有つても色も褪せて居るやうだから、摘草などをこそすれつい/\花を見る事は先づすくないのである、と言つて花時に出ても來ないし、愈々以て遠々しくは成つたものの、何もお花見だからと言つて異裝なんかする事はさう別に奬勵するにも及ばなければ、恐しく取緊る事もないと思ふ。さうしなければ樂めないといふ譯もなし、普通の身裝《みなり》で普通の顏で、歡樂を擅にする事ができるのだから。
近來櫻花の下を通る女の風俗を見るに、どうも物足りない點がある、花に對する配合が惡い。たとへば上野なら上野で、清水の堂に、文金の高島田、紫の矢絣、と云つた美人が、銀地の扇か何か持つてゐるといふと、……奈何にも色彩が榮えて配合その宜しきを得てゐるが、これが今時のやうな風俗であると一寸弱る、前述のやうだとお花見らしい上野が見えると言ふもの。夫から上野にしろ向島にしろ、そこらを歩いてゐる女達が、左程迄にゆかなくつても、濃艶淡彩とり/″\に見えるけれど、此頃の風俗ではパツと咲いてる櫻花の下に、女は唯黒ツぽく見えるばかり、打見たところ色が雜つて、或|混氣《まざりけ》のない心持のよい色だけで、身裝を飾るといふ事が出來なくなつたらしく、色の上にぼかしをかけて、ぼかし過ぎた部分へまた白粉の極彩色、工手間《くでま》のかゝつた、一刷毛で埓のあかぬ化粧ぶりは、造花に配したら見劣もしまいけれど、唯妙に薄黒く見えるので、全體海老茶といふあの色がもう黒く見える。其他背負上、帶の色、混沌たる色彩を爲して、二重にも三重にも塗りつけた有樣がある。そこで其色彩が、日中の花盛砂埃を浴びて立つても水際立つて美しくあつて然るべきのが、ボーツと霞んで居る時に見ても一向鮮かに見えぬ。
酒なくて何のおのれが櫻かな、で花に
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