、縦に見たり、乃至《ないし》は襖《ふすま》一重隣のお座敷の御家族にも、少々聞えよがしに朗読などもしたのである。ところがその後になって聞いてみると、その小説が載ってから完結になる迄に前後十九通、「あれでは困る、新聞が減る、どうか引き下げてくれ」という交渉が来たということである。これは巌谷さんの所へ言って来たのであるが、先生は、泉も始めて書くのにそれでは可憫《かわい》そうだという。慈悲心で黙って書かしてくだすったのであるという。それが絵ごとそっくり田舎の北国新聞に出ている。即ち僕が「冠弥左衛門」を書いたのは、この前年(二十六年)であるから、ちょうど一年振りで、二度の勤めをしている訳である。
 そこでしばらく立って読んで見ていると、校正の間違いなども大分あるようだから、旁々《かたがた》ここに二度の勤めをするこの小説の由来も聞いてみたし、といって、まだ新聞社に出入ったことがないので、一向に様子もわからず、遠慮がち臆病《おくびょう》がちに社に入って見ると、どこの受付でも、恐《こわ》い顔のおじさんが控えているが、ここにも紋切形のおじさんが、何の用だ、と例の紋切形を並べる。その時僕は恐る恐る、実は今
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