現前に外ならぬ。
鬼神力が三つ目小僧となり、大入道となるように、また観音力の微妙なる影向《ようごう》のあるを見ることを疑わぬ。僕は人の手に作られた石の地蔵に、かしこくも自在の力ましますし、観世音に無量無辺の福徳ましまして、その功力《くりき》測るべからずと信ずるのである。乃至《ないし》一草一木の裡《うち》、あるいは鬼神力宿り、あるいは観音力宿る。必ずしも白蓮《びゃくれん》に観音立ち給い、必ずしも紫陽花《あじさい》に鬼神隠るというではない。我が心の照応する所境によって変幻極りない。僕が御幣を担ぎ、そを信ずるものは実にこの故である。
僕は一方鬼神力に対しては大なる畏《おそ》れを有《も》っている。けれどもまた一方観音力の絶大なる加護を信ずる。この故に念々頭々かの観音力を念ずる時んば、例えばいかなる形において鬼神力の現前することがあるとも、それに向ってついに何等の畏れも抱くことがない。されば自分に取っては最も畏るべき鬼神力も、またある時は最も親《したし》むべき友たることが少くない。
さらば僕はいかに観音力を念じ、いかに観音の加護を信ずるかというに、由来が執拗《しつよう》なる迷信に執《とら》
前へ
次へ
全12ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング