いろ扱ひ
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)甚《はなは》だ恐縮、

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|理解《わけ》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\な
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 これは作者の閲歴談と云ふやうなことに聞えますと、甚《はなは》だ恐縮、ほんの子供の内に読んだ本についてお話をするのでございますよ。此頃《このごろ》は皆さんに読んで戴いて誠に御迷惑をかけますが、私は何《ど》うして、皆さんのお書きなすつた物を拝見して、迷惑処か、こんな結構なものはないと思ふんです。其《それ》ですが、江戸時代の文学だの、明治の文学だのと云ふ六ヶ敷《むつかし》いことになると、言ひ悪《にく》うございますから、唯《たゞ》ね、小説、草双紙《くさざうし》、京伝本《きやうでんぼん》、洒落本《しやれぼん》と云ふ其積《そのつも》りで申しませう。母が貴下《あなた》、東京から持つて参りましたんで、雛の箱でささせたといふ本箱の中に『白縫物語』だの『大和文庫《やまとぶんこ》』『時代かゞみ』大部なものは其位ですが、十冊五冊八冊といろ/\な草双紙の小口が揃《そろ》つてあるのです。母はそれを大切にして綺麗《きれい》に持つて居るのを、透《すき》を見ちやあ引張り出して――但し読むのではない。三歳四歳では唯《た》だ表紙の美しい絵を土用干のやうに列《なら》べて、此《この》武士は立派だの、此娘は可愛いなんて……お待ちなさい、少し可笑《をか》しくなるけれど、悪く取りつこなし。さあ段々絵を見ると其|理解《わけ》が聴きたくなつて、母が裁縫《しごと》なんかして居ると、其処《そこ》へ行つては聞きましたが、面倒くさがつてナカ/\教へない。夫《そ》れを無理につかまへて、ねだつては話してもらひましたが、嘸《さ》ぞ煩《うる》さかつたらうと思つて、今考へると気の毒です。なるほど脚色《すぢ》だけは口でいつても言はれますが、読んだおもしろ味は話されません。又知識のないものに、脚色《すぢ》だけ話をするとなると、こんな煩さい事はないのですから、自分もまた其様《そん》な物を読むと云ふ智慧はない時分で、始終絵ばかりを見て居たものですから、薄葉《うすえふ》を買つて貰つて、口絵だの、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵だのを写し始めたんです。それから鎧武者《よろひむしや》が大変|好《すき》になりました。それに親父《おやぢ》が金属の彫刻師《ほりし》だものですから、盃《さかづき》、香炉、最《も》う目貫縁頭《めぬきふちがしら》などはありませんが、其仕事をさせる積りだつたので、絵を習へと云ふので少しばかりネ、薄《すゝき》、蘭《らん》、竹などの手本を描いて貰ひましたが、何、座敷を取散かしたのが、落で。其中に何なんです。近所の女だの、年上の従姉妹《いとこ》だのに、母が絵解をするのを何時《いつ》か聞きかじつて、草双紙の中にある人物の来歴が分つたものだから、鳥山秋作照忠、大伴《おほとも》の若菜姫なんといふのが殊の外|贔屓《ひいき》なんです。処が秋作、豊後之助の贔屓なのは分つて居るが、若菜姫が宜《よ》くツてならない、甚だ怪しからん、是《これ》は悪党の方だから、と思つて居たんです。のみならず、一体どう云ふものだか、小説の中にある主人公などは、善人の方よりは悪党がてきはき[#「てきはき」に傍点]して居て可い、善人とさへ謂《い》や、愚図々々しやあがつて、何《ど》うかしたらよささうなもんだ。泣いたり、口説いたり、何のこツたらう。浄瑠璃《じやうるり》のさはりとなると頭痛がします。併《しか》し、敵役《かたきやく》の中でも石川五右衛門は甚だ嫌ひですな。熊坂長範の方が好い。此頃また白縫の後の方を見ると、口絵に若菜姫を描いて、其上へ持つて来て、(皆様御贔屓の若菜姫)と書いてある。して見ると一般の読者にも、彼の姐《ねえ》さんは人気があつたものと見えますね。
 母はからだが弱くつて……大層若くつて亡《なく》なりましたが……亡なつた時分に、私は十歳《とを》だつたと思ひます。其の前から小学校へ行くやうになつて、本当の字を少し許《ばか》り覚えたりなにかした。それから暫《しばら》くさう云ふものに遠ざかつて居た、石盤をはふり出して、いきなり針箱の上へ耶須多羅女《やすたらによ》の泣いて居る処を出されて御覧なさい。悉達《しつた》太子を慕つて居るのと絵解をするものは話さねばならないでせう。さて其の(慕ふ)といふことを子供に説明をして
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