懺悔」に白丸傍点]だの、露伴さんの風流仏[#「風流仏」に白丸傍点]などは、東京の評判から押して知るべしで、皆が大騒ぎでした。
 あの然やう、八犬伝[#「八犬伝」に傍点]は、父や母に聞いて筋|丈《だけ》は、大抵存じて居りましたし、弓張月[#「弓張月」に傍点]、句伝実実記[#「句伝実実記」に傍点]などをよんだ時、馬琴が大変ひいきだつた。処が、追々ねツつりが厭になつたんです。けれども是は批評をするのだと、馬琴|大人《うし》に甚だ以て相済ぬ、唯ね、どうもネ。彼の人は意地の悪いネヂケた爺さんのやうだからさ。作のよしあしは別として好き、きらひ、贔屓、不贔屓はかまはないでせう。西鶴も贔屓でない、贔屓なのは京伝と、三馬、種彦《たねひこ》なぞです。何遍でも読んで飽きないと云へば、外のものも飽きないけれども、幾ら繰返してもイヤにならなくて、どんなに読んでも頭痛のする時でも、快い心持になるのは、膝栗毛です。それから種彦のものが大好だつた。種彦と云へば、アノ、「文字手摺《もじてずり》昔人形」と云ふ本の中に、女が出陣する所がある。それがネ、斯《か》う、込み入る敵の兵卒を投げたり倒したりあしらひながら、小手すねあてをつけて、鎧《よろひ》を颯《さつ》と投げかける。其の鎧の、「揺《ゆら》ぎ糸の紅は細腰に絡《まと》ひたる肌着の透《す》くかと媚《なまめ》いたり。」綺麗ぢやありませんか。おつなものは岡三鳥の作つた、岡釣話、「あれさ恐れだよう、」と芸者の仮声《こわいろ》を隅田川の中で沙魚《はぜ》がいふんです。さうして釣られてね、「ハゼ合点のゆかぬ、」サ飛んだのんきでいゝでせう。
 えゝ、此のごろでも草双紙は楽みにして居ります。それに京伝本なんぞも、父《おやぢ》や母のことで懐しい記念が多うございますから、淋しい時は枕許に置きますとね。若菜姫なんざ、アノ画の通りの姿で蜘蛛《くも》の術をつかふのが幻に見えますよ。演劇《しばゐ》を見て居るより余ツ程いゝ、笑つちやいけません、どうも纏らないお話で、嘸ぞ御聴苦しうございましたらう。
[#地から2字上げ](明治三十四年一月)



底本:「現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集」筑摩書房
   1972(昭和47)年5月15日初版第1刷発行
   1987(昭和62)年2月10日初版第13刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林徹
校正:本山智子
2001年5月1日公開
2005年11月23日修正
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