今度こそ
片岡鉄兵
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)半歳《はんとし》たった。
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「おふくろ」に傍点]
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甲吉の野郎、斯う云うのだ。
「何しろ俺には年とったおふくろ[#「おふくろ」に傍点]もあるし、女房もあるし、餓鬼もあるし――」
だからストライキには反対だと云うんだ。それから、あいつはそっと小声でつぶやく、
「若え奴らのオダテに乗れるかい」
スキャップにはスキャップの理窟があるもんだ。馘になったら困る。今の世の中に仕事を捜すだけでも大変なんだ。
「俺ア厭だよ、おふくろ[#「おふくろ」に傍点]や女房や餓鬼を飢えさせるなア、ごめん蒙りてえのさ」
そこで俺は云ってやった。
「兄弟、お前の云うなア尤もだ。全くこの不景気じゃア、一ぺん失職したら飢死だ。が、それだから資本[#「資本」に「×」の傍記]家はそこを突け込んで来るんだ――だから、それだから俺らア弱[#「弱」に「×」の傍記]味を見せちゃならねえんだ」
おふくろ[#「おふくろ」に傍点]はお前えばかりにあるんじゃないよ――俺はそうも云ってやった。あらゆるプロレタリアに家族があるんだ。もしストライキの犠牲者として職場から追っぽり出されたら、困るのは誰だって同じことだ。それを恐れ[#「恐れ」に「×」の傍記]てたんじゃ、プロレタリアは永久に闘争[#「闘争」に「×」の傍記]なしで居なくちゃならない。永久に闘争[#「闘争」に「×」の傍記]しないのなら――畜生、資本[#「資本」に「×」の傍記]家に搾ら[#「搾ら」に「×」の傍記]れるだけ搾らせろとでも云うのか!
が、そういう風で甲吉の野郎はとうとうストライキに加わらなかった。そんな仲間が、俺らの小工場の中に十四五人もあったんだ。
で、このストライキは結局、犠牲者を絶対に出さぬと云う条件で、一先ずおさまった。指導部[#「指導部」に「×」の傍記]が社会民主々義で、こっちの力がまだ足りなかったのだ。賃下げ反対の要求なんか全然無視されたんだから、糞いまいましいが、敗北だった。
半歳《はんとし》たった。或日――
「甲吉の野郎? あいつア人間じゃねえ」
裏切者! 卑怯者!
甲吉はみんなから変な眼で睨まれ始めた。スキャップ[#「スキャップ」に「×」の傍記]仲間は職場がちがっていた。だから旋盤では、甲吉ひとりが退《の》けものだった。誰も話しかけようとするものさえない。
「煙草なら、あるぜ」
いつかも甲吉、ひるの休みに俺の方へバットの函をポンと投げ出したものだ。
「おい、海野、一本呉れ」
俺はスキャップの煙草なんか汚[#「汚」に「×」の傍記]らわしいと云わぬばかりの苦笑を一つして、海野という男の方へ手を出してやった。甲吉の投げたバットの函は俺の膝に当って、空地の草の上に落ちた。
「カッしても盗泉の水は飲まずか」と山木の源公が云った。
「何だい、それゃ」と、海野が立上って「インテリ臭いや、漢文じゃねえか」
云いながら、海野は俺の前につかつかと寄って来て煙草を呉れたが、ふと俺が見ると、海野の奴、その拍子に、ギュッとばかり、甲吉のバットの函の上を靴の下に踏み付けてるじゃないか。わざとだ。
俺はさすがに甲吉が気の毒になって、
「もう止《よ》せよ」と、そっと海野に云った。
それから何日かたつ頃だ、会社からの帰りみちで、うしろから俺を呼ぶものがある。
「何だ、お前えか」
俺は、俺を呼び止《と》めたのが甲吉だと知ると、思い切り詰らなそうな顔をして見せた。「お前えと一緒に歩くのは厭だよ」と云わぬばかりに。
「みんなは若けえからストライキだって元気でやれるんだ。だが俺は――」
「もう好いよ。愚痴は云うな、甲吉」
「お前えまで、俺を……職場から出て行けがしにする」としおしおしてやがる。
「どう致しまして。お前えの首を馘《き》るなア、資本[#「資本」に「×」の傍記]家の役目さ」と俺は云ってやった。
三カ月たった。或日――
「甲吉の野郎がやられた!」という叫びが工場中に鳴り渡った。あの、誰かが機械にやられた時、俺らの胸がドンと突く、妙に底鳴りのする叫び声だ。
俺は走って行った。人だかりを押しわけて俺は見た、甲吉の野郎、何て青い顔だ、そして血だ。片手をやられて倒れている。
誰も、ざまア見ろ、とは云わなかった。
あれは、俺らの姿[#「姿」に「×」の傍記]だ。
担架で運ばれて行く負傷者を、みんな黙々として見送った。
「俺たちを裏切ったあいつ。」
けれども、
「あいつも、プロレタリア[#「プロレタリア」に「×」の傍記]だ。」
そんな気持ちだった。次ぎに、俺らは、会社が裏切[#「裏切」に「×」の傍記]者に対して、どんな態度を執るかを見守った。
百円――
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