麻雀を語る
南部修太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)話《はなし》は

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十一|年《ねん》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]

/\:踊り字
(例)少々《せう/\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     1

 話《はなし》はだいぶ古《ふる》めくが、大正《たいしやう》十一|年《ねん》の秋《あき》の或《あ》る一|夜《や》のことだ。三ヶ|月《げつ》ほどの南北支那《なんぼくしな》の旅《たび》を終《をは》つて、明日《あした》はいよいよ懷《なつか》しい故國《ここく》への船路《ふなぢ》に就《つ》かうといふ前《まへ》の晩《ばん》、それは乳色《ちゝいろ》の夜靄《よもや》が町《まち》の燈灯《ともしび》をほのぼのとさせるばかりに立《た》ち罩《こ》めた如何《いか》にも異郷《いきやう》の秋《あき》らしい晩《ばん》だつたが、僕《ぼく》は消息通《せうそくつう》の一|友《いう》と連《つ》れ立《た》つて上海《シヤンハイ》の町《まち》をさまよひ歩《ある》いた。先《ま》づ四馬路《スマロ》の菜館《さいくわん》で廣東料理《くわんとんれうり》に舌皷《したつゞみ》[#ルビの「したつゞみ」は底本では「したつ゛み」]を打《う》ち、或《あ》る外國人《ぐわいこくじん》のバアでリキユウルをすすり、日本料理屋《にほんれうりや》で藝者達《げいしやたち》の長崎辯《ながさきべん》を聞《き》き、更《さら》にフランス租界《そかい》の秘密《ひみつ》な阿片窟《あへんくつ》で阿片《あへん》まで吸《す》つてみた。
「さア、もう一ぺん四馬路《スマロ》の散歩《さんぽ》だ。」
 と、お互《たがひ》に微醺《びくん》を帶《お》びて變《へん》に彈《はづ》み立《た》つた氣分《きぶん》で黄包車《ワンポイソオ》を驅《か》り、再《ふたゝ》び四馬路《スマロ》の大通《おほどほり》へ出《で》たのはもう夜《よる》の一|時《じ》過《す》ぎだつた。
 言《い》ふまでもない、四馬路《スマロ》[#「四馬路」は底本では「四馬踏」]は東京《とうきやう》の銀座《ぎんざ》だ。が、君子國《くんしこく》日本《にほん》のやうに四|角《かく》四|面《めん》な取締《とりしまり》などもとよりあらう筈《はず》もなく、それは字義通《じぎどほ》りの不夜城《ふやじやう》だ。人間《にんげん》は動《うご》く。燈灯《ともしび》は映發《えいはつ》する。自動車《じどうしや》は行《ゆ》く。黄包車《ワンポオツ》は走《はし》る。そして、この東洋《とうやう》の幻怪《げんくわい》な港町《みなとまち》はしつとりした夜靄《よもや》の中《なか》にも更《ふ》け行《ゆ》く夜《よ》を知《し》らない。やがて歩《ある》き疲《つか》れてふらりとはひりこんだのが、と或《あ》る裏通《うらどほり》の茶館《ツアコブン》だつた。
 窓際《まどぎは》の紫檀《しだん》の卓《たく》を挾《はさ》んで腰《こし》を降《おろ》し、お互《たがひ》に疲《つか》れ顏《がほ》でぼんやり煙草《たばこ》をふかしてゐると、女《をんな》が型通《かたどほ》り瓜子《クワスワ》と茶《ツア》を運《はこ》んでくる。一人《ひとり》は丸顏《まるがほ》、一人《ひとり》は瓜實顏《うりさねがほ》、其《それ》に口紅《くちべに》赤《あか》く、耳環《みゝわ》の翡翠《ひすゐ》が青《あを》い。支那語《しなご》の達者《たつしや》な友人《いうじん》は早速《さつそく》笑《わら》ひ聲《ごゑ》を交《まじ》へながら女《をんな》と何《なに》やら話《はな》しはじめたが、僕《ぼく》は至極《しごく》手持《ても》ち無沙汰《ぶさた》である。傍《そば》の窓《まど》をあけて上氣《じやうき》した顏《かほ》を冷《ひや》しながら暗《くら》いそとを見《み》てゐると、一|間《けん》ばかりの路次《ろじ》を隔《へだ》ててすぐ隣《となり》の家《うち》の同《おな》じ二|階《かい》の窓《まど》から、鈍《にぶ》い巷《ちまた》の雜音《ざふおん》と入《い》れ交《まじ》つてチヤラチヤラチヤラチヤラと聞《き》き馴《な》れない物音《ものおと》が聞《きこ》えて來《き》た。
「おいおい、あの音《おと》は何《なん》だい?」
 暫《しばら》く靜《しづか》に聽耳《きゝみゝ》を立《た》ててゐた僕《ぼく》はさう言《い》つて、友人《いうじん》の方《はう》を振《ふ》り返《かへ》つた。いつの間《ま》にか彼《かれ》の膝《ひざ》の上《うへ》には丸顏《まるがほ》の女《をんな》が牡丹《ぼたん》のやうな笑《わら》ひを含《ふく》みながら腰《こし》かけてゐる。が、彼《かれ》はすぐに僕《ぼく》の指《ゆび》さす方《はう》に耳《みゝ》を傾《かたむ》けて、
「あア、麻雀《マアジヤン》をやつてるんだよ。」
「麻雀《マアジヤン》?」
 僕《ぼく》がさう鸚鵡返《あうむがへ》すと同時《どうじ》に、僕《ぼく》の傍《そば》にゐた瓜實顏《うりさねがほ》は可憐《かれん》な聲《こゑ》で、
「好的麻雀《ハオデモジヤ》……」
 と、微笑《びせう》とともに呟《つぶや》いた。
 今《いま》でこそ、僕《ぼく》もどうやら四|段《だん》といふ段位《だんゐ》をもらへるほどに麻雀《マアジヤン》にも耽《ふけ》り親《した》しんでゐるが、かれこれ十|年《ねん》も昔《むかし》の話《はなし》だ。奉天城内《ほうてんじやうない》のと或《あ》る勸工場《くわんこうぢやう》へはひつて、或《あ》る店先《みせさき》に並《なら》べてあつた麻雀牌《マアジヤンパイ》の美《うつく》しさに眼《め》を惹《ひ》かれて、
「綺麗《きれい》なもんですね。何《なに》か飾《かざ》り物《もの》ですか?」
 と、連《つ》れの人《ひと》に尋《たづ》ねかけると、
「いやア、ばくち[#「ばくち」に傍点]の道具《だうぐ》ですよ。日本《にほん》のまア花合《はなあは》せですかね。」
と、幾《いく》らか笑《わら》ひ交《まじ》りに答《こた》へられながらも、さすがにばくち[#「ばくち」に傍点]好《ず》きな支那人《しなじん》だ、恐《おそ》ろしく凝《こ》つた、洒落《しやれ》た物《もの》を使《つか》ふなアぐらゐにほとほと感心《かんしん》してゐたやうな程度《ていど》で、もとよりどんな風《ふう》に遊《あそ》ぶのかも知《し》らなかつたのだが、さてその窓向《まどむかう》から時折《ときをり》談笑《だんせう》の聲《こゑ》に交《まじ》つてチヤラチヤラチヤラチヤラ聞《きこ》えてくる麻雀牌《マアジヤンパイ》の音《おと》、それがまたあたりがあたりだけに如何《いか》にも支那風《しなふう》の好《この》ましい感《かん》じで耳《みゝ》に響《ひゞ》いたものだつた。
 近頃《ちかごろ》、東京《とうきやう》に於《お》ける、或《あるひ》は日本《にほん》に於《お》ける麻雀《マアジヤン》の流行《りうかう》は凄《すさ》まじいばかりで、麻雀倶樂部《マアジヤンくらぶ》の開業《かいげふ》は全《まつた》く雨後《うご》の筍《たけのこ》の如《ごと》しで邊鄙《へんぴ》な郊外《かうぐわい》の町《まち》にまで及《およ》んでゐるやうだが、そこはどこまでも日本式《にほんしき》な小綺麗《こぎれい》さ、行儀《ぎやうぎ》よさで、たとへば卓子《テーブル》の上《うへ》にも青羅紗《あをらしや》とか白《しろ》ネルとかを敷《し》いて牌音《パイおと》を和《やはら》げるやうにしてあるのが普通《ふつう》だが、本場《ほんば》の支那人《しなじん》は紫檀《したん》の卓子《テーブル》の上《うへ》でぢかに遊《あそ》ぶのが普通《ふつう》で、寧《むし》ろさうして牌《パイ》の音《おと》の高《たか》いのを喜《よろこ》ぶらしい、だからこそ、その時《とき》も紫檀《したん》の堅《かた》い面《めん》を打《う》ち、またその上《うへ》でひつきりなしにかち合《あ》ふ麻雀牌《マアジヤンパイ》の音《おと》が窓向《まどむか》うながらそれほどさはやかにも聞《きこ》え、如何《いか》にも支那風《しなふう》の快《こころよ》さで僕《ぼく》の耳《みゝ》を樂《たの》しませたのに違《ちが》ひない。
 同じ麻雀《マアジヤン》でもそれぞれの國民性《こくみんせい》に從《したが》つて遊《あそ》び方《かた》なり樂《たの》しみ方《かた》なりが自然《しぜん》と違《ちが》つてくるのは當《あた》り前《まへ》の話《はなし》で、卓子《たくし》の上《うへ》に布《きれ》を敷《し》いて牌音《ぱいおん》を和《やはら》げるといふやうな工夫《くふう》は如何《いか》にも神經質《しんけいしつ》[#「神經質」は底本では「紳經質」]な日本人《にほんじん》らしさだが、元來《ぐわんらい》麻雀《マアジヤン》とは雀《すゞめ》の義《ぎ》で、牌《パイ》のかち合《あ》ふ音《おと》が竹籔《たけやぶ》に啼《な》き囀《さへづ》る雀《すゞめ》の聲《こゑ》に似《に》てゐるから來《き》たといふ語源《ごげん》を信《しん》じるとすれば、やつぱり紫檀《したん》の卓子《テーブル》でぢかに遊《あそ》ぶといふのが本格的《ほんかくてき》で、その音《おと》を樂《たの》しむといふのもちよつと趣《おもむき》があるやうに感《かん》じられる。尤《もつと》も、支那人《しなじん》は麻雀《マアジヤン》を親《した》しい仲間《なかま》の一組《ひとくみ》で樂《たの》しむといふやうに心得《こゝろえ》てゐるらしいが、近頃《ちかごろ》の日本《にほん》のやうにそれを團隊的競技《だんたいてききやうぎ》にまで進《すゝ》めて來《き》て、いつかの日本麻雀選手權大會《にほんマアジヤンせんしゆけんたいくわい》の時《とき》のやうに百|組《くみ》も百五十|組《くみ》もの人達《ひとたち》が一|堂《だう》に集《あつま》つて技《ぎ》を爭《あらそ》ふとなれば、紫檀《したん》の卓子《テーブル》の上《うへ》でぢかになどといふことはそれこそ殺人的《さつじんてき》なものになつてしまつて、大會《たいくわい》ごとに氣《き》が違《ちが》ふ人《ひと》が何人《なんにん》となく出來《でき》るかも知《し》れない。
 とまれ、十|年前《ねんまへ》の秋《あき》の一|夜《や》、乳色《ちゝいろ》の夜靄《よもや》立《た》ち罩《こ》めた上海《シヤンハイ》のあの茶館《ツアコハン》の窓際《まどぎは》で聞《き》いた麻雀牌《マアジヤンパイ》の好《この》ましい音《おと》は今《いま》も僕《ぼく》の胸底《きようてい》に懷《なつか》しい支那風《しなふう》を思《おも》ひ出《だ》させずにはおかない。

     2

 女《をんな》と、ばくち[#「ばくち」に傍点]と、阿片《あへん》と、支那人《しなじん》の一|生《しやう》はその三つの享樂《きやうらく》の達成《たつせい》に捧《さゝ》げられる――などと言《い》ふと、近頃《ちかごろ》の若《わか》い新《あたら》しい中華民國《ちうくわみんこく》の人達《ひとたち》から叱《しか》られるかも知《し》れないが、これは或《あ》る點《てん》まで殘念《ざんねん》ながら眞實《ほんたう》らしい。苦力達《クウリイたち》は營營《えいえい》と働《はたらく》く、女《をんな》――細君《さいくん》を買《か》ひたいために、ばくち[#「ばくち」に傍点]をしたいために、阿片《あへん》を吸《す》ひたいために。また將相達《しやうしやうたち》はなぜあれほど主權《しゆけん》を爭《あらそ》ひ合《あ》ふのか? 多《おほ》くの婢妾《ひせう》の肉《にく》に倦《あ》きたいために、ばくち[#「ばくち」に傍点]に耽《ふけ》る悠悠《いういう》閑日月《かんにちげつ》を自由《じいう》にしたいために、豪華《がうくわ》な廊房《らうばう》で阿片《あへん》の夢《ゆめ》に浸《ひた》りたいために。で、それほどばくち[#「ばくち」に傍点]好《ず》きな支那人《しなじん》が工夫《くふう》考案《かうあん》したものだけに、麻雀《マアジヤン》ほど魅力《みりよく》のある、感《かん》じのいい、倦《あ》くことを知《し》らない遊《あそ》びはまア世界《せかい》にもあるまいかと思《おも》は
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