れる。近頃《ちかごろ》、歐米《おうべい》では一|時《じ》の麻雀熱《マアジヤンねつ》がさめてブリツヂ・ポオカアの遊《あそ》びに歸《かへ》つたと言《い》ふし、日本《にほん》でも花合《はなあは》せの技法《ぎはふ》がずつと深奧《しんあう》複雜《ふくざつ》でより感興深《かんきようぶか》いことを説《と》く人《ひと》もあるが、麻雀《マアジヤン》には遊《あそ》びの魅力《みりよく》は魅力《みりよく》として、外《ほか》にあの牌《パイ》に觸《ふ》れるといふ不可思議《ふかしぎ》な魅力《みりよく》がある。あの牌音《パイおと》を聞《き》くといふ力強《ちからづよ》い魅力《みりよく》がある。だからこそ、麻雀《マアジヤン》は少《すこ》し遊《あそ》びを覺《おぼ》えると、大概《たいがい》の人《ひと》が一|時《じ》熱病的《ねつびやうてき》になつてしまふ。そして、全《まつた》くこれほど遊《あそ》び倦《あ》きることを知《し》らない遊《あそ》び事《ごと》もちよつと外《ほか》には無《な》ささうだ。
 一|代《だい》の覇圖《はと》も夢物語《ゆめものがたり》に奉天城外《ほうてんじやうぐわい》の露《つゆ》と消《き》えてしまつたが、例《れい》の張作霖《ちやうさくりん》は非常《ひじやう》な麻雀好《マアジヤンず》きだつたと言《い》ふ。何《なん》でも第《だい》二|次《じ》奉直戰爭《ほうちよくせんさう》の時《とき》などは自分《じぶん》の方《はう》の旗色《はたいろ》がよかつたせゐもあつただらうが、戰線《せんせん》のことは部下任《ぶかまか》せにして置《お》いて、宮苑《きうゑん》の奧深《おくふか》くお氣《き》に入《い》りの嬪妾《ひんせう》や嬖臣達《へいしんたち》を相手《あひて》に日《ひ》もす夜《よ》もす麻雀《マアジヤン》に耽《ふけ》り樂《たの》しんでゐたと言《い》ふ。で、そこはまた拔目《ぬけめ》のない所謂《いはゆる》政商《せいしやう》などは莫大《ばくだい》もない金《かね》を賭《か》けて張《ちやう》と卓子《たくし》を圍《かこ》む。そして、わざと負《ま》ける。想像《さうざう》すれば、始終《しじう》青一色《チンイイソオ》をさせたり、滿貫役《まんぐわんやく》をつけさせたりするのだらうが、それが自然《しぜん》と取《と》り入《い》りの阿堵物《あとぶつ》になることは言《い》ふまでもない。
「いや、何《なん》とも何《なん》とも。今日《こんにち》の閣下《かくか》の昇天《しようてん》の御勢《おんいきほひ》にはわたくし共《ども》まるで木《こ》つ葉《ぱ》微塵《みぢん》の有樣《ありさま》でございましたな。」
「ふふふふ、弱《よわ》いなうお前等《まへら》は……」
 定《さだ》めてあの張作霖《ちやうさくりん》がそんな風《ふう》に相好《さうかう》を崩《くづ》してのけぞり返《かへ》つただらうと思《おも》ふと、その昔《むかし》馬賊《ばぞく》の荒武者《あらむしや》だつたといふ人《ひと》のよさ[#「よさ」に傍点]も想像《さうざう》されて、無殘《むざん》な爆彈《ばくだん》に血染《ちぞ》められたと言《い》ふその最後《さいご》が傷《いた》ましくも感《かん》じられはしないだらうか?
 張作霖《ちやうさくりん》と言《い》はず、如何《いか》に支那人《しなじん》が麻雀《マアジヤン》を好《す》くかといふことはいろいろ話《はなし》に聞《き》くが、驚《おどろ》くことは彼等《かれら》二|日《か》も三|日《か》も不眠不休《ふみんふきう》で戰《たゝか》ひつづけて平氣《へいき》だといふことだ。僕《ぼく》、この遊《あそ》びを覺《おぼ》えてから足掛《あしか》け五|年《ねん》になるが、食事《しよくじ》の時間《じかん》だけは別《べつ》として戰《たゝか》ひつづけたレコオドは約《やく》三十|時間《じかん》といふのが最長《さいちやう》だ。それはたしか去年《きよねん》の春頃《はるごろ》、池谷《いけのや》信《しん》三|郎《らう》の家《うち》でのことで、前日《ぜんじつ》の晝頃《ひるごろ》はじめて翌日《よくじつ》の夕方過《ゆふがたす》ぎまで八|圈戰《けんせん》を五|回《くわい》ぐらゐ繰《く》り返《かへ》したやうに思《おも》ふが、終《をは》りには頭《あたま》朦朧《もうろう》として體《からだ》はぐたぐたになつてしまつた。そして、二三|日《にち》その疲《つか》れの拔《ぬ》け切《き》らないのに今更《いまさら》自分《じぶん》の愚《おろか》さを悔《く》いたやうな始末《しまつ》だつたが、支那人《しなじん》が二|日《か》も三|日《か》も戰《たゝか》ひつづけて平氣《へいき》だといふのは、一《ひと》つは確《たしか》に體力《たいりよく》のせゐに違《ちが》ひない。が、もう一《ひと》つは氣質《きしつ》の相違《そうゐ》によるものだらう。言《い》ひ換《か》へると、支那人《しなじん》は技法《ぎはふ》の巧拙《かうせつ》は別問題《べつもんだい》として、可成《かな》り自由《じいう》に延《の》び延《の》びと麻雀《マージヤン》を遊《あそ》び樂《たの》しむからではあるまいか?
 僕《ぼく》思《おも》ふに、いつたい僕等《ぼくら》日本人《にほんじん》の麻雀《マージヤン》の遊《あそ》び方《かた》は神經質《しんけいしつ》過《す》ぎる。或《あるひ》は末梢的《まつせうてき》過《す》ぎる。勿論《もちろん》技《ぎ》を爭《あらそ》ひ、機《き》を捉《とら》へ、相手《あひて》を覘《ねら》ふ勝負事《しようぶごと》だ。技法《ぎはふ》の尖鋭《せんえい》慧敏《けいびん》さは如何《いか》ほどまでも尊《たふと》ばれていい筈《はず》だが、やたらに相手《あひて》の技法《ぎはふ》に神經《しんけい》を尖《と》がらして、惡打《あくだ》を怒《いか》り罵《のゝし》り、不覺《ふかく》の過《あやま》ちを責《せ》め咎《とが》め、自分《じぶん》の好運《かううん》衰勢《すゐせい》にだらしなく感情《かんじやう》を動亂《どうらん》させるなどは甚《はなは》だしばしば僕《ぼく》のお眼《め》に掛《か》かることだが、そして、僕《ぼく》と雖《いへど》も敢《あ》へてそれが全然無《ぜんぜんな》いとは言《い》はないが、その如何《いか》にもあくせくした感《かん》じは常《つね》に僕《ぼく》をして眉《まゆ》を顰《ひそ》めしめる。言《い》ひ換《か》へると、どうもゆとり[#「ゆとり」に傍点]が無《な》い、棘棘《とげとげ》し過《す》ぎる。だから、長《なが》い戰《たゝか》ひに堪《た》へ得《え》ず、結局《けつきよく》心身共《しんしんとも》にくたくたに疲《つか》れ切《き》つてしまふのだらうが、思《おも》ふに、支那人《しなじん》の麻雀戲《マージヤンぎ》には彼等《かれら》の風格《ふうかく》に存《そん》するやうな悠悠味《いういうみ》がどこかにあるのではなからうか?

     3

 一|時《じ》、これは麻雀界《マージヤンかい》の論議《ろんぎ》の的《まと》になつたことだが、麻雀《マージヤン》が技《ぎ》の遊《あそ》びといふより以上《いじやう》に運《うん》の遊《あそ》びであることは爭《あらそ》へない。實際《じつさい》、運《うん》のつかない時《とき》と來《き》たらこれほど憂欝《いううつ》な遊《あそ》びはないし、逆《ぎやく》に運《うん》の波《なみ》に乘《の》つて天衣無縫《てんいむほう》に牌《パイ》の扱《あつか》へる時《とき》ほど麻雀《マージヤン》に快《こゝろよ》い陶醉《たうすゐ》を感《かん》じる時《とき》はない。自然《しぜん》、そこが麻雀《マージヤン》の長所《ちやうしよ》でもあり短所《たんしよ》でもあつて、どつちかと言《い》へば玄人筋《くろうとすぢ》のガンブラアには輕蔑《けいべつ》される勝負事《しようぶごと》のやうに思《おも》はれる。けれど、實際《じつさい》はそれこそ麻雀《マージヤン》が人達《ひとたち》を魅惑《みわく》する面白《おもしろ》さなので、誰《だれ》しも少《すこ》しそれに親《した》しんでくるといつとなくその日《ひ》その時《とき》の縁起《えんぎ》まで擔《かつ》ぐやうになるのも愉快《ゆくわい》である。そして、その點《てん》でとりわけ物事《ものごと》に縁起《えんぎ》を擔《かつ》ぐ支那人《しなじん》が如何《いか》に苦心《くしん》焦慮《せうりよ》するかはいろいろ語《かた》られてゐることだが、全《まつた》く外《ほか》のことでは如何《いか》なる擔《かつ》ぎ屋《や》でもない僕《ぼく》が麻雀《マージヤン》の日《ひ》となると、その日《ひ》の新聞《しんぶん》に出《で》てゐる運勢《うんせい》が變《へん》に氣《き》になる。で、たとへば「思《おも》はぬ大利《たいり》あり」とか「物事《ものごと》に蹉跌《さてつ》あり、西方《せいはう》凶《きやう》」などといふ、考《かんが》へれば馬鹿《ばか》らしい暗示《あんじ》が卓子《テーブル》[#ルビの「テーブル」は底本では「テー ル」]を圍《かこ》む氣持《きもち》を變《へん》に動《うご》かすこと我《われ》ながらをかしいくらゐだ。
 滑稽《こつけい》なのは、日本《にほん》の麻雀道《マージヤンだう》のメツカの稱《しよう》ある鎌倉《かまくら》では誰《だれ》でも奧《おく》さんが懷姙《くわいにん》すると、その檀那樣《だんなさま》がきつと大當《おほあた》りをすると言《い》ふ。所《ところ》が、何《なん》でも久米正雄夫人《くめまさをふじん》自身《じしん》の懷姙中《くわいにんちう》の運勢《うんせい》の素晴《すばら》しかつたことは今《いま》でも鎌倉猛者連《かまくらもされん》の語《かた》り草《ぐさ》になつてゐるくらゐださうだが、懷《ふところ》に入《はい》つてふとるといふ八卦《はつけ》でもあらうか? 少少《せうせう》うがち過《す》ぎてゐて、良人《りやうじん》久米正雄《くめまさを》ならずとも、思《おも》はず微苦笑《びくせう》せずにはゐられない。いつたい誰《だれ》でも運勢《うんせい》が傾《かたむ》いてくると、自然《しぜん》とじたばたし出《だ》すのは人情《にんじやう》の然《しか》らしむる所《ところ》だが、五|段《だん》里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]《さとみとん》は紙入《かみいれ》からお守札《まもりふだ》を並《なら》べ出《だ》す、四|段《だん》古川緑波《ふるかはりよくは》はシガアレツト・ライタアで切《き》り火《び》をする。三|段《だん》池谷《いけのや》[#ルビの「いけのや」は底本では「いけやの」]信《しん》三|郎《らう》は骰子《サイツ》を頭上《づじやう》にかざして禮拜《らいはい》する。僕《ぼく》など麻雀《マージヤン》はしばしば細君《さいくん》と口喧嘩《くちけんくわ》の種子《たね》になるが、これが臨戰前《りんせんまへ》だときつと八|卦《け》が惡《わる》い。
「今日《けふ》は奇數番號《きすうばんがう》の自動車《じどうしや》には絶對《ぜつたい》に乘《の》らないぞ。」
「向《むか》うに着《つ》くまで猫《ねこ》を見《み》なけりや勝《かち》だ。」
 などと年甲斐《としがひ》もなく男《をとこ》一|匹《ぴき》がそんな下《くだ》らないことを考《かんが》へたりするのも、麻雀《マアジヤン》に苦勞《くらう》した人間《にんげん》でなければ分《わか》らない味《あぢ》かも知《し》れない。

     4

「知《し》らない支那人《しなじん》と麻雀《マアジヤン》を遊《あそ》ぶのはよつぽど注意《ちゆうい》しなければいけない。」
 とは或《あ》る向《むか》うの消息通《せうそくつう》が僕《ぼく》に聞《き》かせた詞《ことば》だが、ばくち[#「ばくち」に傍点]好《ず》きで、またばくち[#「ばくち」に傍点]の天才《てんさい》の支那人《しなじん》だけに麻雀道《マアジヤンだう》に於《おい》ても中《なか》には恐《おそ》ろしい詐欺《さぎ》、いんちき[#「いんちき」に傍点]を企《くはだ》てるものが可成《かな》りあるらしい。そして、その仕方《しかた》もいろいろ聞《き》かされたが、僕《ぼく》が如何《いか》にも支那人式《しなじんしき》だなと一|番《ばん》感心《かんしん》し、且《か》つ恐《おそ》るべしと思《おも》つたのは、百三十六|個《こ》もある麻雀牌《マアジヤンパイ》の背中《せな
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