い》の時《とき》のやうに百|組《くみ》も百五十|組《くみ》もの人達《ひとたち》が一|堂《だう》に集《あつま》つて技《ぎ》を爭《あらそ》ふとなれば、紫檀《したん》の卓子《テーブル》の上《うへ》でぢかになどといふことはそれこそ殺人的《さつじんてき》なものになつてしまつて、大會《たいくわい》ごとに氣《き》が違《ちが》ふ人《ひと》が何人《なんにん》となく出來《でき》るかも知《し》れない。
 とまれ、十|年前《ねんまへ》の秋《あき》の一|夜《や》、乳色《ちゝいろ》の夜靄《よもや》立《た》ち罩《こ》めた上海《シヤンハイ》のあの茶館《ツアコハン》の窓際《まどぎは》で聞《き》いた麻雀牌《マアジヤンパイ》の好《この》ましい音《おと》は今《いま》も僕《ぼく》の胸底《きようてい》に懷《なつか》しい支那風《しなふう》を思《おも》ひ出《だ》させずにはおかない。

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 女《をんな》と、ばくち[#「ばくち」に傍点]と、阿片《あへん》と、支那人《しなじん》の一|生《しやう》はその三つの享樂《きやうらく》の達成《たつせい》に捧《さゝ》げられる――などと言《い》ふと、近頃《ちかごろ》の若《わか》い新《あたら
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