い》の時《とき》のやうに百|組《くみ》も百五十|組《くみ》もの人達《ひとたち》が一|堂《だう》に集《あつま》つて技《ぎ》を爭《あらそ》ふとなれば、紫檀《したん》の卓子《テーブル》の上《うへ》でぢかになどといふことはそれこそ殺人的《さつじんてき》なものになつてしまつて、大會《たいくわい》ごとに氣《き》が違《ちが》ふ人《ひと》が何人《なんにん》となく出來《でき》るかも知《し》れない。
とまれ、十|年前《ねんまへ》の秋《あき》の一|夜《や》、乳色《ちゝいろ》の夜靄《よもや》立《た》ち罩《こ》めた上海《シヤンハイ》のあの茶館《ツアコハン》の窓際《まどぎは》で聞《き》いた麻雀牌《マアジヤンパイ》の好《この》ましい音《おと》は今《いま》も僕《ぼく》の胸底《きようてい》に懷《なつか》しい支那風《しなふう》を思《おも》ひ出《だ》させずにはおかない。
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女《をんな》と、ばくち[#「ばくち」に傍点]と、阿片《あへん》と、支那人《しなじん》の一|生《しやう》はその三つの享樂《きやうらく》の達成《たつせい》に捧《さゝ》げられる――などと言《い》ふと、近頃《ちかごろ》の若《わか》い新《あたら》しい中華民國《ちうくわみんこく》の人達《ひとたち》から叱《しか》られるかも知《し》れないが、これは或《あ》る點《てん》まで殘念《ざんねん》ながら眞實《ほんたう》らしい。苦力達《クウリイたち》は營營《えいえい》と働《はたらく》く、女《をんな》――細君《さいくん》を買《か》ひたいために、ばくち[#「ばくち」に傍点]をしたいために、阿片《あへん》を吸《す》ひたいために。また將相達《しやうしやうたち》はなぜあれほど主權《しゆけん》を爭《あらそ》ひ合《あ》ふのか? 多《おほ》くの婢妾《ひせう》の肉《にく》に倦《あ》きたいために、ばくち[#「ばくち」に傍点]に耽《ふけ》る悠悠《いういう》閑日月《かんにちげつ》を自由《じいう》にしたいために、豪華《がうくわ》な廊房《らうばう》で阿片《あへん》の夢《ゆめ》に浸《ひた》りたいために。で、それほどばくち[#「ばくち」に傍点]好《ず》きな支那人《しなじん》が工夫《くふう》考案《かうあん》したものだけに、麻雀《マアジヤン》ほど魅力《みりよく》のある、感《かん》じのいい、倦《あ》くことを知《し》らない遊《あそ》びはまア世界《せかい》にもあるまいかと思《おも》は
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