プランタンで初《はじ》めて麻雀《マアジヤン》を遊《あそ》んだ人達《ひとたち》に文人《ぶんじん》、畫家《ぐわか》が多《おほ》かつたといふのと相俟《あひま》つて、麻雀《マアジヤン》と文藝《ぶんげい》との間《あひだ》には何《なに》か一|種《しゆ》のつながりがあるやうな氣持《きもち》さへする。それにさすがは文學《ぶんがく》の國《くに》支那《しな》の遊《あそ》びで[#「遊《あそ》びで」は底本では「遊《あそ》びて」]、役《やく》の名《な》に清一色《チンイイソオ》とか、國士無雙《コオシフウサン》とか、海底撈月《ハイチイラオイエ》とか、嶺上開花《リンシヤンカイホウ》とか、四喜臨門《スウシイリンメン》とかいふやうな如何《いか》にも詩味《しみ》のある字句《じく》を使《つか》つてあるのも面白《おもしろ》い。恐《おそ》らくこれ等《ら》の字《じ》に就《つ》いての感《かん》じが分《わか》るといふだけでも僕等《ぼくら》日本人《にほんじん》は歐米人達《おうべいじんたち》よりもずつとずつと麻雀《マアジヤン》を味《あぢは》ひ樂《たの》しみ方《かた》が深《ふか》いだらうと想像《さうざう》される。
さて初《はじ》めに書《か》いたやうに初《はじ》めて麻雀牌《マアジヤンパイ》を見《み》て、その牌音《パイおと》を聞《き》いたといふだけなら、僕《ぼく》は近頃《ちかごろ》の麻雀隆盛《マアジヤンりうせい》にいさゝか先駈《さきが》けするものだつたが、初《はじ》めて牌《パイ》を手《て》に入《い》れたのは大正《たいしやう》十四|年《ねん》の秋《あき》で、それから誰《たれ》に教《をそ》はるともなく次第《しだい》に習《なら》ひ覺《おぼ》えて、去年《きよねん》あたりちよつとその熱病期《ねつびやうき》だつたとも言《い》へる。そして、近頃《ちかごろ》はだいぶ技法《ぎはふ》にも自信《じしん》を得《え》て來《き》たが、運《うん》に左右《さいう》されてしまふ或《あ》る境地《きやうち》だけはどうにも仕方《しかた》がなく、時《とき》にあまりに衰運《すゐうん》に沈湎《ちんめん》させられると、ちよつと麻雀《マアジヤン》にも嫌厭《げんえん》たるものを感《かん》じる。けれど、二三|日《にち》もたつともうそろそろむづむづしてくるのだから、この熱病《ねつびやう》生易《なまやさ》しいことではなかなか全快《ぜんくわい》しさうにもない。
相手方《あひてかた
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