ゝか》ひを交《まじ》へてゐたものらしい。
「林茂光《りんもくわう》がくるやうになつてから、だいぶすべてが調《とゝの》つて來《き》たが、僕《ぼく》はその時分《じぶん》から大概《たいがい》負《ま》けなかつたよ。」
 と、これも佐佐木茂索《ささきもさく》の自慢話《じまんばなし》だ。
 その頃《ころ》、それが賭博《とばく》との疑《うたが》ひを受《う》けて、或《あ》る晩《ばん》一|同《どう》がその筋《すぢ》から取《と》り調《しら》べを受《う》けるやうな事件《じけん》が持《も》ち上《あが》つたが、取《と》り調《しら》べる側《がは》がその技法《ぎはふ》を知《し》らないので誰《だれ》かが滔滔《たうたう》と講釋《かうしやく》をはじめ、係官《かゝりくわん》を烟《けむり》に卷《ま》いたといふ一|插話《さふわ》もある。勿論《もちろん》、何《なん》の事《こと》もなく疑《うたが》ひだけで濟《す》んだのだが、一|夜《や》を思《おも》はぬ所《ところ》で明《あ》かしてしまつた誰彼《たれかれ》、あまり寢覺《ねざ》めがよかつた筈《はず》も無《な》いが、何《なん》でも物事《ものごと》の先驅者《せんくしや》の受難《じゆなん》の一卷《ひとまき》とすれば、近頃《ちかごろ》の仕合《しあは》せな新《あたら》しい麻雀《マアジヤン》好きの面面《めんめん》はすべからくそれ等《ら》の諸賢《しよけん》に敬意《けいい》を捧《さゝ》げて然《しか》るべきかも知《し》れない。

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 日本《にほん》の文藝的作品《ぶんげいてきさくひん》に麻雀《マアジヤン》のことが書《か》かれたのは恐《おそ》らく夏目漱石《なつめさうせき》の「滿韓《まんかん》ところどころ」の一|節《せつ》が初《はじ》めてかも知《し》れない。無論《むろん》、讀書人《どくしよじん》夏目漱石《なつめさうせき》は勝負事《しようぶごと》には感興《かんきよう》を持《も》つてゐなかつたのであらうが、それは麻雀競技《マアジヤンきやうぎ》の甚《はなは》だ漠然《ばくぜん》とした、斷片的《だんぺんてき》な印象《いんしよう》を數行《すうぎやう》綴《つゞ》つたのに過《す》ぎない。が、近代日本《きんだいにほん》のこの優《すぐ》れた文人《ぶんじん》の筆《ふで》に初《はじ》めて麻雀《マアジヤン》のことが書《か》かれたといふのは不思議《ふしぎ》な因縁《いんねん》とも言《い》ふべきで、カフエ・
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